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デニムの国から

このブログを読んでくれた すべての皆様に幸福が訪れますように・・・
たくさんの波乱万丈な半生をコミカルに 小説仕立てでお届けします・・・
同じような経験をした方に勇気と元気を与えられたら幸いです・・・
Wishing your happiness and prosperity!

入社式までに 一人で何度も 会社までの通勤を

リハーサルした。

何しろ ここは 大都会 大阪である。

田舎のローカル列車なら ちょっとくらい遅くなっても

飛び込みセーフになるが、そうはいかない・・・


まずは阪急電車の淡路駅から 梅田方面へ行く

電車に乗って 西中島南方まで

そこから 地下鉄の千里中央線に乗り換えて

江坂で降りる・・・

そこからは 徒歩で10-15分くらいの距離だった


朝の満員電車は恐ろしいほど ぎゅうぎゅう詰めで

揺られていく・・・

隣りのおじさんの 体臭や体温が感じるほどの距離で

本当に 朝から 気合いを入れて行かなければ

会社に着くころには ヘトヘトになる


着なれないスーツを着て・・・確か 大学の入学式に

来た服だっただろうか・・・・ 田舎臭さ 全開で

挑んだ


メーカー本社には大勢いただろうが、江坂にあった

販社では その年の新入社員は 私を含め7名いた

その内 男が4名 女が3名 だった・・・


聞くところによると、全員がコネや知り合いを通じて

入社したというから・・・・その時の就職状況が

いかにバブリーだったかがよく分かる


この同期の7名がかなり その後の大阪生活で

大きな影響を及ぼすのは言うまでもない


私以外の2人の女性が 通称ハッチーとアンコ

またもや 私がO型 ハッチーがA型 アンコがB型と

見事に個性的な3人組だった


男性軍4人の中に 長年気持ちを引きずってしまうほどの

やつがいたわけで・・・

大阪ライフの 新たな幕開けとなった


                         つづく

淡路商店街には 色んなお店がたくさんあって・・・

端から端まで見るだけでも 楽しくなった・・・


ハイカラな店とは 程遠いのが多かったが、それでも

車でしかお店に行けない 田舎育ちの私には 

ワクワクした・・・


母親が引っ越しの手伝いで 来てくれていた時

一緒に 買い物で出た・・・

偶然 大きな声で人を呼び込む セールスマンに

つかまって・・・ 店舗内に入ってみた


色んな質問を 次々にお客さんたちに投げかけ

答えてくれた人に ハイどうぞ・・・・と

次々に タオルやら 消耗品を プレゼントしてくれた


いつまで・・・・と思いつつも もらえるものは

もらった方が 得!と 田舎人的 発想で・・・いつしか

数時間もその場に いた・・・


途中で帰る客がいなかったことも あったが・・・

結局のところ 小さなプレゼントを 目の前にちらつかせ

高い 布団を買わせる 商売の罠に 

ちゃっかり はまってしまっていた・・・・


それに気づいたときには たくさんもらった喜びより

騙されたことへの 後悔の念で 母親と一緒に落胆した


幸いにも 布団を買わされることは 免れたが

のちに 実家に戻って 偶然テレビをみていた母親が

同じような手口で お年寄りに 高額な布団を買わせる

特集をしていた!と 電話をかけてきたほどである・・・


いわゆる ハイハイ学校 というらしいのだが・・・

その後も 似たような 巧みな商戦に その後 幾度か

ひっかかったのは 言うまでもない


タオルには たくさんの鶴の絵がデザインされていた

そんな縁起のいい柄を 商売の手段として考えた

大阪商人には まったくもって 頭が下がる思いだ・・・


人を信用できなくなってしまうのも 人を見る目を養う能力も

ここ 大阪で培ったのであった


                         つづく 

大都会大阪で 築ウン十年も経っている古びた看護婦寮の

生活は・・・・ どこか陰気くさく 住んでいる人も摩訶不思議な

ところだった・・・


こんな都会で しかも、こんな所に住むわけで・・・

訳ありじゃなければ モノ好きとしか言いようがなかった


確か 若い人は 私を含め 2~3人くらいだったと思う


後は 長らく居座っている オバちゃん達で

昼間はもちろん 夜でも出会うことはめったになかった


週末 洗濯機を回したり、布団を干すために 

どこかの部屋の人と 出会うことはあったが まったく

顔も印象も残っていない


それほど 不気味なところだった・・・

部屋を飾るのが大好きだった私は 速攻 自分の部屋を

飾りや物で いっぱいにした。。


当時は携帯電話もポケットベルも 出回ってなく

唯一の連絡手段は 固定の電話と 手紙だった


固定電話の留守電に自分の声で 不在のメッセージを

登録するのが 唯一の楽しみで・・・

善通寺時代の友人が まだ学生だったことが なにより

救いであり、暇な時にメッセージを残して・・・と

よくお願いしていた


めぞん一刻という マンガがあったが、色んなタイプの

人間が一つ屋根の下に集う 内容だったはずで・・・

わたしの都会での第一歩は まさにそんな環境だった


いま思い出すだけでも よくもまあ 清き20歳の乙女が

住むようなところではなかったと・・・・・

紹介してくれた お局さんの含み笑いが 想像できる


                           つづく