デニムの国から -3ページ目
若気の至りで 喜び勇んで新たな生活に
飛び込んだ現実は 想像を絶する世界だった
ゴロウさんの実家は 30名近い従業員が
働いている事務所の上に造られた 家だった
実家に行くには 事務所の前を通らざるを
得ず、嫌でも従業員の目に触れる・・・
都会から来た 小娘を見る目は厳しく
毎日バッチリと化粧をし、アクセサリーも
着けない日はないOL生活をしていた私は
うってつけのカモだったに違いない・・・
姑は全部の指にキラリと光る大きなものを
着けていたことがあるほど 成金セレブ風だった
らしいが、家にいるときは至って普通のオバサン
だった・・・
しかし、19歳でゴロウさんを生み 22歳で
舅と事業を始めている訳で・・・
大阪のオバタリヤンに勝る強烈なキャラクター
だった・・・
実の妹は姑を見た瞬間 私の親族にいる
手ごわい叔母さん2人を合体したくらいキツ~イと
評したほどであった
嫁に来た時にはまだ48歳という若さゆえ
息子をこんな小娘に取られてたまるものかと
正直思ったに違いない・・・
週末ごとに食事会をするからと・・・
新婚の私たちが二人の時間を過ごすことは
ほとんどなかった
つづく
あの頃 この人を逃すと 次に出会う人が
いないはず・・・・と思ってしまったゴロウさんは
私にとって 大誤算の人となってしまった
もちろん冷静にその時の状況を見ていた人
なら 誰でもその行方を心配するだろうことが
結婚後 次々と起こっていった
寿退社という華々しい最後を迎えてから
現実の生活は恐ろしいほどに 変わってしまった
大阪での一人暮らしの後 実家でのんびり
過ごしてから新生活の場へ来ては・・・・という
ゴロウさんの提案が どうもすんなり受け入れ
られず 結婚式を11月に予約してもらっていたが
6月早々に現地へ2人一緒に向かった・・・
実家の母親は 空港で涙を流して見送って
くれたが・・・それより何より この先のことが
気がかりで 悲しみに暮れる余裕もなかった・・・
何しろ11月の結婚式より前に 大阪で籍を入れ
荷物を現地へ送ったところ・・・・
送り返された・・・
私の名前は 現地で 女性らしい読み方を
されないらしく 「そんな人はいない」と
強敵 親族のおばさん事務員が 運送会社に
荷物を突き返したのであった
そうなのである
ここから 私の悲劇が始まった
彼の実家が営む会社は 同族会社の
典型的なところで そこに都会から来た私を
すんなり 嫁として受け入れるような 場所では
なかったのであった
あの時 もし 実家でのんびり優雅な生活を
したあと 一人で現地入りしていたら・・・・・・
もっと恐ろしいことになっていただろうと
今更ながら 身震いがする
つづく
結婚の話がまとまるころから お互い一人暮らしを
していたこともあって、ほとんど半同棲的生活を
していた・・・
ほとんど私のマンションに居候することが多く
今から考えれば あの頃が一番自由で幸せだった
思う・・・
それでも必ずちょっとしたことで ケンカになったが
互いに縛られているものや ウルサイ外部がいない
ことが功を奏して すぐに仲良くなれた
偶然 コインランドリーで 出くわした御婆さんが
ケンカはせんほうがええで・・・
今が一番ええときやな~ とつぶやいた・・・
ケンカをしたことがないという この御婆さんの
言葉は 今でも頭の片隅に残っている
あの時 「今が一番いい」ということは それから
先はいいことがないのか??と 一瞬考えた
結婚もまだしてない私たちの 未来が見えたか・・
この見知らぬ御婆さんの言うとおり・・・
結婚後 急降下で 幸せ度は奈落の底に落ちて
いった・・・
それでも 当時の私は 結婚 = 幸せのゴール
だと思い込んでいたのであった
学生時代 どちらかというと 男嫌いの私が
友人たちの中で一番早くに この話題を出した
ため、みんな度肝を抜いて 驚いた
誰もが口をそろえて言ったのが・・・・
「わたしが選びそうもない 意外な人やった」
そう その通りなのである
私の好みとはどうもかけ離れているタイプ
だったのである
やはり魔法にかかっていたのであろう
つづく

