3月に保育園を退職したのを機に、保育士としての生活を振り返ってみることにした。
まずは自分の過去記事を久しぶりに読んでみたら、我ながら面白くて読み進んでしまった。
5年も前に書いたことは、おぼろげには覚えているけれどもすっかり忘れていたので、新鮮な気持ちで楽しめた。
特に、保育士試験取得の過程で勉強した知識などまるっと忘れていたので、
保育の社会的な意義などを読み返して、
「ほほー。保育の社会意義ってスゴイわぁ」
などと他人事みたいに関心してしまったぐらい。
2年ほど前からこれまでは、ブログ記事での保育関連の内容は
ほとんど書いていなかったように思う。
ざざっとアウトラインを書いておく。
●2020年2月~2121年3月 公立保育園でのパート(4時間勤務)
●2121年4月~2122年3月 私立認可A保育園でのパート(6.5時間勤務)→フルタイム(8時間勤務)
●2022年4月~2024年3月 私立認可B保育園でのパート(6.5時間勤務)
時間の長短はあれど、有休以外は毎日シフトに入って勤務をした。
専業主婦だった私としてはかなり頑張って働いた4年間であったと思う。
特に、B保育園での勤務は我ながら良く頑張った。
日々が目まぐるしすぎて、ブログを書いている時間というよりは精神的余裕が全くなかった。
B保育園はA保育園と比べると、会社組織としてかなりしっかりと運営されていた。
A保育園の会社組織としてのいいかげんさに嫌気がさして転職した私としては、
B保育園の緻密さは何て素晴らしいのだろう、と感動を覚えたぐらいだった。
しかしその分、保育士の業務量や期待される水準がとても高いという、大変な面があることも徐々にわかってきた。
運動会やクリスマス会といったイベントは、認可保育園とは思えないくらい豪華であった。
また、日々の活動、保護者への情報開示、園内の装飾、と何から何まで盛りだくさんだった。
それらの多大な業務内容であったが、有能でやる気がある保育士が、
まるで文化祭に取り組む学生のような熱心さで次々にこなしていた。
しかしこのやる気に満ち溢れた波に乗り切れる保育士ばかりでなく、
辞めていく保育士もたくさんいた。
そんな辞めていく保育士の煽りをうけて、
パート勤務であった私にも担任業務が回ってくるようになったのが、
2023年の1月からだった。
これまでは、フリー保育士として、
担任がいるクラスの補助という形で主に1歳児クラスの保育に入っていた。
それが、その時からずっと0歳児クラスの専属になった。
フリーで補助の勤務のときには、月案、週案などの書類を作成したり、
連絡帳を書いたりといった業務が回ってくることはなかった。
しかし、担任ともなると、これらの業務がドドンと一手に回ってくるのである。
しかも私の勤務形態はパートのままである。
短時間勤務なのに、担任としての責任と仕事がのしかかってくる。
おまけに、月案、週案を書いたこともなければ、
クラスをまとめるというスキルも覚悟もなかった。
「私はパートなのに…」
とぼやきながら、月案、週案、日々の連絡帳を必死の思いで埋めていた。
また、「今日は何をしよう?」と毎日必死に考えていた。
実際には主担任の下の副担任だったので、主だった業務は主担任がやってくれていたのだが、その方が有能だったがゆえに、余計に私は追い詰められた。
お世話になった参考書
大変ではあったが、年度途中で投げ出すのも悔しかったので、
必死で働いていた。
そして、
「パート勤務のまま担任業務は続けられない」
と、秋の面談では園長に伝えた。
その願いが聞きとげられないのであれば続けられないなと思っていた。
そんなこんな過ごしていたが、年末頃に、お隣ハイムに住む義父の体調が悪化した。
元々肝臓に持病があったが、そんな義父が咳き込むと痰に血が混じる、
ことが頻発するようになったのだ。
また、昨年ぐらいから腰が急に曲がり、歩行も著しく不安定になっていたので、
一人で歩くことも難しくなっていた。義父は要介護2。
さらに義母も足が痛く歩行器なしには歩けない、要介護1なので、
私が保育園を休んで、義父を病院に連れていくことが何度かあった。
結果的には、義父の血が混じる症状は、
肺からの出血といった重篤なものではなく、
飲み薬と鼻粘膜への薬塗布で治まっていった。
しかし、一旦バランスを失い尻もちをついてしまうと、
一人では起き上がれない等の不安要素が満載の義父である。
いざというときのためには、
すぐに対応できる体制を整える必要が出てきたのである。
私もここで、フルタイムの仕事が順風満帆で面白くて仕方がない、
ということなら、とても悩んで迷ったと思う。
しかし幸い、そもそもパート勤務で担任業務は無理との思いを
日々抱えながら仕事をしていた私だったので、
6.5時間よりもさらに短い時間のパート勤務への変更をお願いした。
その後、園側とのいくつかのやり取りがあったが、
条件が折り合わず、結果的に、円満に退職することになった。
退職理由が「介護」だと、
会社側としては、「そこを何とか~~」と引き留めることが出来ないそうだ。
そんな過程を経て、
「介護が落ち着いたら、いつでも戻って来てね」
と温かい言葉を受けて、私は退職することになったのだ。