保育士試験の学科試験が終わり、ボケーっとしてます。
この、一つの山を越えた区切りで、いくつか、書いておこうと思います。
私が保育士試験の受験を思い立ったのは、突発的なことでした。
今年の新年の誓いの中にすら登場してません。
「引きこもってないで、そろそろ働いてみるか」
と、新年1月、「短期 近所」のキーワードでタウンワークで検索しました。
結果、見つけたのが、
2,3月の税務署パート、そして、
4,5月の保育園パート、でした。
保育園パートをしてみれば、
「うわぁ。子どもって可愛い」
「私って、もしかして、向いてるかも???」
「同じ仕事をするなら、資格を持っていた方が時給も高いから、いっちょ挑戦してみよっか」
という、軽い流れで挑戦してみることにしたのがキッカケです。
軽い気持ちだったので、科目数も学習量についても良く知らず。
初めて、通信教材が一式届いたときには、その量に驚きました。
キッカケは軽いものでしたが、勉強内容は、私に必要な内容ばかりで、
ちょっと、運命的なものを感じたぐらいです。
平和ボケ、幸せボケしていた私の頭に、ガツンと衝撃を受けることが多かった。
私は、保育士というのは、働くママがお仕事に行っている間に、
その赤ちゃん、子どものお世話をする仕事だと思っていたのですが、それだけではなかった。
色んな理由から実両親が育てることが出来ない子どもを預かる養護施設、乳児院でお世話をする、そんな役割も担っている職業だということを知りました。
保育士は、社会全体の子どもを保育するという意図をもった、社会福祉職だったのです。
養護施設だけでなく、心に傷を抱えた子の施設、
非行に走る少年のための施設、障害児のための施設、
世の中には、当たり前だったり、普通に見えるコースから外れたところで展開する世界がたくさんあるということも知りました。
そして、それらの社会福祉の事業に関しては、
社会保険や税金の仕組みが国により、しっかり整えられていること。
そのような、社会の仕組みについて、
私は50歳にして初めてはっきりと意識することになりました。
「今の今まで、全く気にせず、生きてきて、ゴメンナサイ」
「なんだ、かんだ、文句ばっか言っててゴメンナサイ」
と、私は勉強しながらも、恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。
私が今まで、福祉の仕組みに無頓着で生きてこられたのは、
両親に守られ、オットに支えられてきたから。
そして子どもが、心身ともに健康に育ってくれたから。
自分が進んできたコース以外の、茨のコースの存在を意識することが出来て良かった。
視野が広がりました。
また、心理学、保健、食事と栄養、の知識を正しく体系的に学ぶことが出来たことも、良かったです。
趣味の範囲でボヤっと単語を知っているだけの知識を正しく記憶することが出来ました。
さらに、実習理論で学んだ音楽のコードの知識は、
今この段階で知ることが出来て、本当に良かった、と思える知識でした。
コードは、ギターを始めてから学びましたが、その理論については全くわかってなかったから。
長くなりましたが、私が保育士試験の勉強をして良かったことをまとめました。
読んで下さってありがとうございました。