さて、続けております命日ホロスコープ占い、6件目のご依頼にお応えしました。

今回は珍しく男性からのご依頼でして、お父様の命日との関係を読み解かせていただきました。

 

やはり、ご依頼人にとって、命日は自分の人生の節目となっており、今回は「土星回帰(サターンリターン)」が大きく関わる内容となりました。

 

そして、愛情表現というのは人ぞれぞれで、伝わらない愛情表現(いや、本当は伝わっているのかな。)もあるってことを感じましたし、それが良い悪いだけでは語れない、そのご家族の繋がりや絆を作っているんだな、ってことも浮かび上がってきました。

いやあ、でも切ないですけどね・・・。でも、あたたかいんですけどね・・・。

 

というわけでお届けしていきましょう。

 

「命日ホロスコープ占い」とは?・・・

ご依頼者にとって大切な方が天に旅立たれた日(=命日)の星空のチャートとご依頼人のチャートを合わせて読むことで、魂と魂の関係性を読み解いていくという試みです。

誕生日占いがこの世での生き方を読み解けるものであれば、命日はもう一つの大切な節目と考え、生きている人にとってのメッセージが含まれているという仮説に基づいたものです。

 

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今回いただいたご依頼内容です。

 

 

 

case6:突然亡くなった父。僕に何か言いたいことがあったのではないか。


M雄(アラフォー男性)さんからヒアリングさせていただいた内容を私がお便り風に編集してます。


今から約7年前・・・。
父が家で倒れているのを発見。少し前に電話で話したばかりだったのに。

 

生前、父は心の病の母の面倒を見ていた。
今から思えば母は治療が必要な心の病だったけど、父が一人で面倒を見てきた。
小さい頃は、母は病気の影響か、僕のことを「あんたはほんまにM雄くんか?」と口走ッタリ、時にヒステリックになるなど、子供心に、寂しい思いをしていたのを思い出す。
僕の弟も軽度の知的障害と診断され、父はそういった僕たち家族を養っていた。
というと父は面倒見が良かったように聞こえるが、子供の僕から見て父は、母のことを理解しているようにもみえなかった。


現在、母は健在で介護施設に入っていて、僕とも普通に会話ができる。
息子としてなんだか嬉しい気もする。
その反面、父の死も、母の病気ももっと早く対応できていれば・・・という後悔の念がないわけでもない。

 

 

僕は成人を超えても、定職になかなかつかない時期があり、ちょうど父の死も僕が実家に出戻っていた時に起こったことだった。出戻りつつも、家で自分の技術を生かしてできる仕事に取り組み始めた時だった。

 


昔のことに思いを馳せてみると・・・子供の頃、母の面倒を見ることに限界を感じていた父は刃物を持ち出すこともあった。

 

 

僕が定職につかずに出戻っていた時も、その時の記憶はふと読みがえり、父が何かをしたわけではないのだが、部屋にあるアウトドアグッズの父のナイフを見た時、「このままでは殺されるかもしれない」となぜか思ったこともあった。

 

 

父を一言で言うと怖いところもあった、そういうところは自分とは違うが、しかしなぜか「自分と似ている」と思う。父を見ていると「なんだか自分のようだ」と感じていた。

 

 

そんな父は弟(少し障害を持っている)と母(心の病気)の面倒を見ながら、晩年も暮らしていた。

 

恐らく、僕が出戻っていなかったら父の発見は遅れなのではないかと思う。もし、私が発見できなかったら大変なことになっていたかも・・・と思うとゾッとしたりもした。

 

 

何の予兆もない死だったが、母の病気を始め、僕が何とかできたこともあったのではないかと思う。そして、父も今から思えば、いろいろ私に言いたかったこともあったのではないかと思う。

 

 

 

M雄さん。今回はご依頼ありがとうございます。では早速チャートを読んでいきたいと思います!

 

 

 

 

M雄さんにとって「人との深い繋がり」が人生のテーマ。

 

今回は、様々なチャート(M雄さんの出生ホロスコープ、命日ホロスコープ、お父様の出生ホロスコープ)を出しては眺め、組み合わせては長め・・・としてみたところ、まずはご依頼人であるM雄さんのチャートを入り口として読むことにしました。

 


ご依頼人のM御さん(男性)の出生ホロスコープを拝見すると、8室というエリアにたくさん星を持っています。8室は血のつながりから様々なものを受け取る部屋であり、深い繋がり、継承、、生と死、といった「普段はあまり見ない世界」を表します。

 


こういった点から、M雄さんは、「自分を生きよう」とするとき、ご家族を始め、”人との深い関係”に焦点があたることを物語っています。

 


しかもM雄さんの場合、この8室のカラーは、天秤座となります。
8室=一点集中で深く繋がる場、なのに対し、
天秤座=平たくその場の調和を求めます。

 


決して、親和性のある組み合わせではありません。というか逆の組み合わせです。

 


家族のメンバー間の繋がりを守るため、微妙なバランスが崩れないようにバランスを取る役割を担当しやすいことを物語っており、M雄さんにとっては、時として葛藤になる箇所でもあります。

 

 

 

「深い繋がり」の対象は、家族という集合的無意識でもある。

 


これは、M雄さんが家族という集合的無意識の中で必要な役割を無意識のうちに担うということを表しています。(これは全てこの配置の人がそうだと言っているわけではなく、M雄へのヒアリングからそう感じました。)

 


実際、M雄さんはなかなか定職につくことができず、ご家族と一緒にいらっしゃる期間が長かったと言います。ご本人としては、それはただ「定職につけなかった」というだけかもしれませんが、ご家族というシステム自体が、それをどこかで必要としていた、のかもしれません。

 


言い方を変えれば、M雄さんは気づかぬうちに、どこか自己実現を諦めるようにして、ご家族の中での役割を優先されていたのかもしれません。常に、どこか「自分の人生を思いっきり実現できない」というものを抱えてらっしゃったのではないでしょうか。

 


M雄さんが子供の頃から、お母様はヒステリックだったり、不安定だったり、弟様も知的な障害をお持ちでらっしゃり、それを支えてらっしゃるお父様も、ご家族を支えきれずに怒鳴ったり・・・という一面もあったそうです。(お母様は現在、しっかりと治療を受けておられ、回復に向かってらっしゃいます。)

 


そういった経緯から、M雄さんは私に「もっと早く父も母も対応してあげればとよかった。」と後悔の念をお話ししてくださいましたが、子供の頃からその環境を当たり前として育たれてきたのもありますし、お父様との関係を考えるとなかなかそれも難しい状態だったのではないかと思います。

 

 

お父様の命日は、M雄さんのサターンリターンでした。

 


お父様の命日となったこの年は、M雄さんはサターンリターンを迎える年でした。8室にある土星に宇宙の土星が重なり、数ヶ月したのちにお父様の命日を迎えられた・・・ということになります。

サターンリターンとは、ご自分の生まれた時の土星の位置に、経過中の土星が重なる時です。30年に一度の占星術的な節目です。

 


占星術的には「真の成人式」のような意味合いを持ちます。論語でいう「三十にして立つ」に近い意味合いを持っています。といっても華々しいお祝い!というよりは「生きる現実と向き合う。」という出来事を経験しやすい人生の節目です。

 


土星は「自分の人生」という現実に引き戻す惑星でもあります。

 


つまりM雄さんは命日という節目を境に、真の自立を歩むことになったわけです。


M雄さんは男性ですので、特に同性の親であるお父様との別れというのは、まさに「男性としての独り立ち」のような象徴もあります。

 


家族でのバランスを取る役目であったM雄さん。命日はそこからの旅立ちのように思います。


そして、ちょうどお父様の命日のそのあとから、M雄さんは少しづつ専門的なお仕事に従事されるようになったとのこと。タイミング的にも人生の節目だったことは星的にも事実的にも合致しています。
 

 

 

お父様とのご縁の深さ。



「僕と父はどこか似ている。」とおっしゃっていたのが印象的だったのですが、実際チャートを拝見してみると、ただでさえ縁の深い父息子という関係なのに、お二人のご縁もなかなか深いということがわかりました。

 


M雄さんのチャートを見ると、先祖とのつながりをもあらわすICという感受点にがあるのですが、そこにお父様の(出生チャート)土星と天王星が重なっています。

 


は、最も柔らかな質感の星で、最も色々なものを容易く受け取り、吸収してしまう星です。ここに土星・天王星という月には重たすぎる天体が乗っている・・・ということはお父様から様々なものを吸収せざるを得なかったことを物語っています。

 


お父様が自分一人では抱えきれない課題を息子さんであるM雄さんがお手伝いしてしまう・・・という感じにも、私には見えました。特に小さい頃にその影響は現れていたのではないかと思います。

 


「出生ホロスコープの月」は幼少期のM雄さんでもあります。実際、幼少期のお話を伺った時「心の病気である母は、息子の僕のことがあまりわからないようで寂しかった。」とお話いただきました。そんな風な経験を通して、お父様の背負っているお母さん(という課題)を一緒にM雄さんも背負ってらっしゃったのだと思います。

 


月は無意識を表しますので、お父さんの荷物を一緒に持つことは、M雄さんにとっては「あたりまえ」過ぎて、一緒に持っているどころか、その感覚さえなかったかもしれませんが・・・。むしろ元々持ってらっしゃる「客観視する力」がおありなので、頭に残っている記憶としては「そんな父を側から見ていただけ」という記憶の方が濃いかもしれません。

 


しかし、実際、M雄さんの人生においては、お父様が旅立たれる時期まで、M雄さんは、ご自分が思っているよりも、身動きが取れない状態が続いていたのではないでしょうか。

 


もちろん誰のせいでもなく、あらゆる複雑なご家族間の関わりの中で「そうなってしまっていた」わけです。

 

定職になかなかつけなかったM雄さん。

 

職がなかなか決まらないのは、もちろんご家族の影響ではないのですが、自分のいる場の調和を大事にするM雄さんにとって、自己実現だけに邁進できない理由は大いにあったのではないでしょうか。

 

 

これは誰か良い悪いではなくこれは全て無意識下で起こっていたこと、さらには家族の集合的無意識下で起こっていたことだと思います。

 


家族のそれぞれが、それぞれの役割を担うことで、家族同士がかろうじてバランスを保っていたということです。

 

 

つまり、M雄さんは、ご自身の「自己実現」を脇に置いておくことで、ご家族全体がギリギリのところでバランスが取れるような役割を担当されていたように思います。

そして、ある日突然おとずれたお父様の命日を境に、良くも悪くもそのバランスは意味をなさなくなり、M雄さんの役割も変わっていったのでしょう。
 

 

 

 

後編に続きます>>>>

 

 

 

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