ゼルダの伝説がいよいよ佳境に入っててゆっくりブログを書く時間がなーい
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と書いてからもう何カ月たったでしょうか?
一番濃かった高校生活をまとめるだけですごく時間がかかってしまい、書いているうちにまた思い出しては編成を考え直したりで後回し後回しになっていました。
回顧録がある程度進まなくては書けない内容もあり、なんとかして進めなくてはと思い今日に至りました。
で、この文章を書いている時点でもまだ出来上がっていませんので、あと容量的にもどうかと思いまして、何回かに分けて書こうと思います。
後日、加筆修正の可能性もありますが、そこのところは、まぁ、よろしくお願いします。
<生活>
前回のおさらい。
本命の高校受験(県立高校)に失敗し、私立高校に進学する事になりました。
高校生活
当時の私立高校という所は、男子校、女子高というふうに男女別々というのが当たり前で、余程の進学校や強豪運動部目当てでなければ、絶対に行きたくない所でした。
今では考えらないかもしれませんが、私の世代の中高生男子の頭の中は”女性”の事でいっぱいでしたので、誰が好き好んで”女性”のいない環境に行くか!って感じでしたね。
加えて親を安心させる為だけの受験と思っていたので、確実に合格する偏差値のあまり高くない高校を受験してたんですよね。
この時点ではまだなんとなくですけど、大学には進学するつもりだったんです。
ですがこの高校からだと、就職か専門学校というのが通常で、大学に進学できる人はほんの一握り(しかも私立)だったんです(上位進学クラスはありましたが、もちろん、受験してません)。
3年間女性と触れ合えない、大学にも行けない、ということで目の前が真っ暗でした。いつ辞めようかとか、どうやったら県立高校に編入できるのか?とかそればかり考えてました。。。
幸か不幸か、改革の年
例年、よほどでなければ不合格にはならないといわれており、県立高校の滑り止めとしてウチの中学の半数以上の男子生徒が受験して合格していた高校だったのですが、この年に偏差値を上げようとボーダーラインを上げたようで、かなりの人が不合格になったようでした
私と仲が良かった友人も皆、不合格で、それも行きたくなかった一因でした。
毎年10人以上はこの高校に入学していたのですが、この時は私ともう一人だけで、その一人も以前の記事で少し触れましたが、保育園時代はめっちゃ仲が良かったけど小中学校時代は疎遠になっていた子で、その後も結局そんなに仲良くはならなかった子でした。
1つ良かったのは、自分を知っている人が一人だけだったので素に近い状態で居られた事ですかね。
小中学生の頃は優等生のイメージが強かったのでとにかく真面目にしてましたが、高校では居眠りしたり、内職したり、授業中に友達と小突きあって先生に怒られたりとか、結構好き放題にやってました。
なので、高校の友達からは、私=優等生というイメージは全く聞かれません。
電車通学
高校が遠方になった為、電車通学をすることになりました・・・と書いても普通の事だと思いますが、私の場合、これまで一人で電車に乗った事がなく、『上りの電車に乗れば大丈夫!』と言われても、私、その上り・下りが分からないし、行き先を見てもその地名がどっちの方向なのかも分からず、すごく不安でした。
しかも、途中で乗り換えなきゃいけないという高難度ミッション(笑)。毎日がドキドキの連続でしたねぇ。
加えて、自宅から最寄りの駅まで自転車で45分という田舎あるある。なので、毎日、7時過ぎには家を出ていました。課外が始まると更に早くなり、6時過ぎに家を出なきゃいけないという…。それでも私、高校3年間、皆勤賞を達成しました。褒めて、褒めてぇ。
そして帰りは、6時間授業が終わって普通に帰れたとしても家に着くのは17時すぎ。1本乗り遅れると18時すぎになるという。平日は家と高校の往復だけで終わる毎日でした。
高校の最寄り駅
ちょうど私が入学する1カ月前に新設された駅で、ほぼうちの高校の生徒しか利用していなかったのではないかという小さな駅でした。
駅から出て通常ルートで高校へむかうと徒歩で12~3分くらいかかるのですが、線路内を通ると3分くらいでつくということで線路内に侵入する生徒が多発し、大問題になってました。
若い体育教師が見張りに立って阻止しようとしていましたが、それでも線路内に侵入する生徒は無くならず、侵入した生徒と体育教師の追いかけっこという光景もしばしば見られていました。
大きな事故は起きませんでしたが、何度か電車を止めた事はありました。1時間に1本しか電車が来ないということもあったのでしょうが、線路内の侵入は危険ですので、絶対にしないようにしましょう。
校舎がラブホテル!?
小高い丘の上にポツンと建つ西洋建築の校舎(←この辺はさすが私立)で、丘の下にある校門から校舎に向かって一直線にアスファルトで舗装された心臓破りの坂(←)が続いていました。さすが私立!
こちらも私が入学する数年前に新築された校舎だったそうでとてもきれいでした。なので、新築当初はラブホテルと間違えたカップルが来たとか来なかったとかまぁ。分からんでもない外観やったねぇ。
美術部と剣道部と野球部と
元々入学する気が無くて何も調べない状態で入学したので後で知ったのですが、ウチの高校、美術部と剣道部と野球部が強豪だったようです。
美術部は二科展(←すごい賞らしい)入賞の常連だったようで、それを目当てに入学する人もいたそう。私のマンガの師匠も目指してたのですが、撃沈でした
剣道部も強豪だったようで(本当か?)、剣道だけの体育教師がいて、その先生はいつもお酒の匂いをプンプンさせていましたが、それでも許されていましたねぇ。
野球部も強豪と聞いていた割に甲子園出場経験もなくどこが?と思っていましたが、私が卒業した年の春の選抜で甲子園初出場しました。
1回戦敗退でしたが、対戦した高校が上位まで勝ち進み、その時の投手はそのままプロ野球選手になりました。
余談ですが、(私は卒業していたのですが)甲子園出場で学校紹介の撮影があるから来てくれないか、と部活の顧問に頼まれ部活の練習風景を撮影してもらい、その様子が全国放送で流れました。
更にはVTR最後の締めのセリフまで言わされるハメに。いやぁ、アレは恥ずかしかった。
敗者の集まり?
当時、私立高校=県立高校の受験に失敗した人たちが来るところ、という印象だった為、入学後しばらくはどんよりとした、何とも言えない空気が漂っていました。
初日から全く登校しない人もいましたし、徐々に登校しなくなる人もいましたし、登校しても誰とも話そうとせず自分の席でただ下を向いたままの人もいました。結局、何人かは早い段階で退学してしまいましたね。
翌日からの地獄
加えて嫌だったのが、入学式翌日から行われた、校歌と応援歌の練習。
6時間目の授業終了後体育館に集められ、応援団によるスパルタ練習。今だったら許されないと思うのですが、すごい怒鳴られていました。言い返すツワモノもいたのですが、それ以上に言い返されていました(←こういうツワモノは後日応援団にスカウトされていました)。
行事予定にも書かれていなかった事なので私もすごく理不尽を感じていましたが、もちろん言い返す事もできず言いなりになるしかありませんでした。応援団の人達が納得するまで帰らせてもらえなかったので、その期間は家に帰り着くのが20時過ぎになってましたね。
自信喪失からの
入学後も全くやる気が出ず、辞めたいなぁと思っていた時にあった高校初のテスト。もぅどうでもいいや、と思って全く勉強をしないままで受けたのですが、それが上位進学クラスにも食い込む、中学時代には見たこともないくらいの順位になりまして
え、これだったら勉強したらもっと上に行けるんじゃね?と思いまして、そこからまたヤル気が復活してきました。
私は普通科でして、普通科の上に上位進学クラス1クラスと進学クラス2クラス、合計120人くらいいたのですが、普通科にいて上位進学クラスに食い込む(40番以内に入る)というのが、その後のモチベーションになりました←と言っても井の中の蛙ですよ。
毎年5月の恒例行事?
入学して約1カ月、ゴールデンウイークの後だったと思いますが、衝撃的なニュースが飛び込んできました。
同じ系列の女子高と来年合併する、という話でした。
クラスでは、女!女!女!とおおいに盛り上がっていたのですが、その後続報が出ず、どうなったんだろうと思っていましたら、上級生から、「それ、毎年この時期に流れるデマよ。」と言われ、すごくガッカリしたのを覚えています。
上級生の言葉どおり、高2、高3の同じ時期にもこの噂は流れました。これってもしかして、男子校あるあるなんですかね?
私が卒業してからもしばらくはそのままだったのですが、近年の少子化の影響なのか、現在は共学になっています
ちっきしょー!!!
男だらけの…
エロに関して全く知識が無かった(家庭がエロNGでした)私が珍しかったらしく、面白がってクラスメイトからエロ知識をバンバン教えられました。高2の時に転校してきたS氏には、師匠!と呼ばせていただいています。
学生食堂
入学して1年間くらいは母親がお弁当を作ってくれていたのですが、そのうちお昼代といって500円をくれるようになりました。
最初はわざわざ食堂まで移動する事が面倒だったり、メニューの争奪戦に疲れたりしていたのですが、おつりの返却を求められない事に味を覚え、ますます食堂を希望するようになってました。
高校や大学で食堂を利用した事がある方は分かると思いますが、学生食堂って、とにかく安いんですよね。
ウチの高校の場合、うどん系は200円前後、日替わり定食でも300円以下でした。
なので欲しいものがある時はうどん系で済ませおつりを浮かせておこづかいを貯めていました。
あと、食堂のおばちゃん達と仲良くなると少し多めに入れてくれたり、具材を1品多めにくれたりとかもありましたね。これが学生食堂の醍醐味ですよね。
歓迎遠足
高1では近くの山、高2でスペースワールド、高3で海の中道海浜公園でした。
スペースワールドはその年に開園したばかりでまだフリーパスもなく、乗り物も少なかったですけどその分すみずみまで堪能しましたね。
文化祭と体育祭(運動会)
これが普通なのか何なのか分かりませんが、文化祭があった年には体育祭が無く、体育祭があった年は文化祭がない、という高校でした。
私の場合、高1、3が文化祭で高2が体育祭でした。
高1の文化祭では何かをした、という記憶はないのですが、中学の時の絵の師匠が美術部の作品を見に来たくらいですかね。
高2の体育祭では、仮装リレーが楽しかったです。
仮装リレーとは、担任を1番早く仮装させたクラスが勝ちというものなのですが、仮装のアイデア、必要な小道具の手配などを私が任されたので、とても印象に残っています。
任されたと言ってもコスプレの経験も知識もなく、どうしようか迷った上、仮装のスピードと小道具の入手しやすさから私が出した答えは、『ミイラ』でした。
トイレットペーパーで頭のてっぺんから足先までグルグル巻きにすればミイラじゃん!と。そして担任が熱烈なジャイアンツファンだったので、ジャイアンツの帽子をかぶせよう、と。で、完成したのがコレ。
修学旅行
修学旅行は長野でスキー、その後、東京観光でした。
スキーは子供の頃に何回か経験していたので苦手な事もなく、初日のクラス分けでも上級者クラスに入れられていました。上級者クラスは基本もそこそこに、滑る距離をどんどん伸ばされていました。最終日はかなり傾斜のキツイ上の方から一気に下まで滑りおりるミッションになり、ドキドキでしたがなんとか無事に終了することが出来ました。
東京観光は半日くらいの自由行動でした。
私はサークル仲間とアニメ制作会社とアニメージュ編集部の訪問を予定していました。
アニメ制作会社は住所は分かっていたもののなかなかたどりつけず、かなり時間がおしてしまい滞在時間が短くなってしまいましたがスタッフの方は嫌な顔一つせずに丁寧に説明して下さり、おみやげに実際に使われたセル画をプレゼントしてくれました。当時放送されていた”ドラゴンクエスト”の第2部のものでした。
アニメージュ編集部の方は、今放送されているアニメの今後の展開の予想などを話していました。確か、『ふしぎの海のナディア』の結末について話していたと思います。
他にもまだ予定があったのですが時間がなくなり、その後は宿泊先のホテルへ。
ホテルに帰りついた時、周りが妙にザワザワしていたので何事か聞いたところ、近くでドラマのロケをやっていた、と。さすが東京。東京ラブストーリーだったそうです。
生徒会
いつも行動を共にしていた友人たちのほとんどがいつのまにか生徒会に入会しており、そのおかげで私もちょくちょく生徒会室で弁当を食べたりダラダラさせてもらったりしていました。
アニメ・マンガサークル発足
入学後の自己紹介で、アニメ・マンガオタクであることを公言していた私の元には同じようにアニメやマンガが好きな人が集まってきていて、より濃い人からそういう活動をしている人達がいる事を聞き、自分達でもやってみようと見様見真似で高2の時に、高1の時の担任に顧問をお願いして発足しました。
毎月1回、会員の作品を集めた会誌を発行。
中身は主にイラストやマンガでしたっけ?テーマを決めてイラストを募集することもあったかな。けっこう自由にやっていましたね。
食堂に募集ポスターを貼らせてもらい、他学年からも募集をしました。ポスターを見て何人か入ってくれたのですがあまり馴染めなかったようですぐに来なくなり、最終的に残ったのは1学年下の1人だけでした。
そんな感じだったので、メインの私達が高3になった時点で後継者が1人だけになり、そのまま消滅してしまいました。
ですがこの話には後日談があります。
卒業後初めて高校を訪れて顧問だった先生にお会いした時、私達と入れ替わりに入学した子が食堂に貼られたままだったポスターを見て先生の元を訪れたと聞きました。
先生は私達がもう卒業してしまって誰も活動していない事を告げたのですが諦めきれなかったようで、私達が作った会誌を元に自分達でも会誌を作り活動を再開したとのことでした。
実際に新しい会誌も見せてもらい自分達が始めた活動が受け継がれているのを見て、かなり感動しましたね。
嫁制度
サークル仲間だけではなく、アニメ好きな人たちの中で流行っていたのが”嫁制度”。
要するに、今でいう自分の推しを生徒手帳の裏に入れて宣言するもの。暗黙の了解で誰かの嫁は推せませんでした(笑)。
まだまだ続きますが、今回はこの辺で締めたいと思います。
今年1年、こんなつたないブログに目を通していただきありがとうございました。
今年も残すところあと1時間ちょっと。
つきなみですが、よいお年を!!