永らくお待たせしました。
それではスタートです。
<ゲーム>
1986年2月:ファミコンにディスクシステムが登場!
カセットより容量が多く、データをセーブできるうえにカセットより安価、そして後には新作ゲームがたったの500円で書き換えて遊べるようになったという素晴らしいシステムでした。
当時のゲームデータを残す方法といえば”パスワード”でした。パスワードのわずらわしさは体験した人なら分かると思います、それをしなくていいというだけで夢のようなシステムでした。
今では名作の巨匠となった”ゼルダの伝説”や”メトロイド”もここから始まりました。
通常1本5000円くらいで、誕生日やお正月にしか買えなかったゲームが、毎月のこづかいでなんとかなる500円という価格は本当に魅力で、クリアしては別のゲームに書き換え、クリアしては書き換えを繰り返していました。
書き換え当初は、販売物と同じ説明書、シールが貰えていたのですが、後に説明書はモノクロの1枚紙、シールも時期によっては無くなってたりしてました。
1987年10月:PCエンジン発売!!
ファミコン1強時代に突如、ライバルが出現しました。
その特徴はなんといっても、グラフィックのキレイさでした。
当時のファミコンのグラフィックを絵が上手な小学生の絵、だとするとPCエンジンは同人誌を出す人レベルの絵、でした。
初期のRPG「邪聖剣ネクロマンサー」では、敵がグニョグニョ動くのに感動しましたね。
ただ、本体価格はファミコンの倍近かったので私自身はすぐに買うことは出来ず、ゲームだけ買って、本体を持っている友達の家に遊びに行ってプレイさせてもらってました。
セガ・マスターシステム、メガドライブも!?
同じ時代にSEGAからも家庭用ゲーム機が発売されていたのですが、当時持っていた子を1人しか知らなかったので「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」と「アフターバーナー」をちょこっとプレイしたくらいの記憶しかありません。
あと友達が「ファンタシースター」が面白かった、と言ってていつかプレイしたいな~と思ってました。
1988年12月:PCエンジンCD-ROM2発売!!
PCエンジンの拡張周辺機器として発売された”CD-ROM2”。
今では当たり前となったCD媒体のゲーム機の先駆。CD媒体になったことで、容量が大幅アップ、そしてBGMはもちろん、普通のCD音声のクオリティ。
最新機器ということで価格は相当なものでしたが、お年玉+過去の貯金を合わせて、本体と同時購入しました。さすがに親に価格は言えませんでしたが。
同時購入した「天外魔境」のオープニングで流れたBGMを聞いた時は鳥肌が立ちましたよ。
友人A、パソコンを購入
小学6年か中学1年頃、いつも一緒にゲームをしていた友人Aがパソコンを購入しました。
どういういきさつで購入することになったのか知りませんが、私の認知としては”新しいゲーム機”でした。
対応のゲームが電気屋さんのパソコンコーナーでも売っているという事を聞き友人Aと一緒に買いにいったのですが。
事前知識が全くなかったのでパッケージの情報(ショーケースに入っていたので表面のみ)だけで購入しようとしてまして。
あるカワイイ女の子のパッケージのゲームを見付け、友人Aに「コレにしようかな?」と言ったら、「それ、アダルトゲームだよ!?」と言われて。
当時はまだ”アダルトゲーム”という意味がよく分かってなくて、大人向けの難しいゲームくらいに思っていたので「うん、頑張る!」と答えたら、お店の隅に連れていかれ、じっくりと説明されました。顔から火が出るってこのことですね。
その後、友人Aは『ボコスカウォーズ』、私は『ルパン三世 カリオストロの城』を購入しました。
ボコスカウォーズは、道中仲間を増やしながら敵エリアに侵入し、ラスボスを倒すのが目的のゲーム。
敵と重なれば自動的に戦闘が行われ、勝てば残り、負ければ消滅するという単純な内容ですが、ラスボスまである程度の仲間を残して進むというのはかなり至難な技でした。それだけについ何度もプレイしてしまうんですよね。
後にファミコンでも発売されました。
ルパン三世 カリオストロの城は、コマンド選択式のアドベンチャーゲームでした。
映画では描かれていない、ルパンがカリオストロの城に潜入してクラリスに会うまでのストーリーとなっています。多分、家庭用ゲームには移植されてないと思います。
ボコスカウォーズもカリオストロの城も、データがカセットテープに入っていた為、読み込みにすごく時間がかかっていたのを覚えています。10分とかあたりまえだったんじゃないかなぁ。
その後、他にも買った気がしますが、ファミコンのディスクシステムやPCエンジンなど新しい家庭用ゲーム機の発売で印象が薄くなってしまって記憶には残ってません。
あと、部活の先輩が同じ機種を持っていて、先輩の家に遊びに行った時に『キャッスルエクセレント』もプレイしました。
キャッスルエクセレントは、お城の中を探索して姫を救い出すアクションパズルです。こちらも後にファミコンで発売されました。
あと、当時発売されていたこのマイコンBASICマガジンには、各機種にあわせた簡単なゲームのプログラムが掲載されていまして。友人と2人でよく打ち込んで楽しんでたな~。いっつも途中でエラーが出てたけど。
アーケードゲームは全て1回10円
プロローグでも書いたと思いますが、アーケードゲームが置いてあるゲームセンター、いわゆる”ゲーセン”はヤンチャなお兄さんたちのたまり場となっていた時代でしたので、小・中学校時代は学校の校則(?)で子供だけでゲームセンターに出入りする事は禁止されていましてた。先生方も時々見回りをしてましたしね。
とは言ってもゲームはしたい!、でも親が同伴してくれることはほぼ無い!!
ということで考え付いたのが、デパートの屋上にあるゲームコーナー。
ここはゲームコーナーであって、ゲームセンターではない!と勝手に言い張ってました。
で、そのいきつけにしていたゲームコーナー。
最新ゲームはほぼ無かったと思いますが、その場にある30台以上のビデオゲームは全て1回10円でした。体感ゲームの走り”アフターバーナー”は50円でした。
見下ろし型のクレーンゲームは20円?、通常のクレーンゲームは50円?だったかな。屋外にあった乗り物(動物の)も50円以下だったと思います。だから100円持っていけば結構長く遊べていました。
そんなゲームの中で印象に残っているものをいくつかご紹介。
チャイニーズヒーロー
カンフー技で敵を倒していく、ステージクリア型アクションゲームです。
これは友達と協力プレイをすることが多かったです。
こちらも後にファミコンで”スーパーチャイニーズ”と名を改め、発売されました。操作性がイマイチでガッカリでした。
アフターバーナー
今では珍しくないと思いますが、当時、自分の操作に合わせて筐体が動くという遊園地のアトラクションのようなゲームの登場に心躍りました。
ただ、やはり人気があったのでギャラリーがいる場合が多く、プレイを躊躇してしまうことも多々ありました。
マル勝ファミコン、ファミコン通信、創刊
前年のファミマガに続き、相次いで創刊されました。ファミコンのブームをより実感する出来事ですね。
マル勝ファミコンは、親に”ファミマガ”を頼んでたら間違って買ってきて存在を知りました。
ファミマガ以上のものを感じなかったので、掲載されたゲーム記事によって時々買っていたくらいかな。
ファミコン通信(通称:ファミ通)は、ゲーム記事だけにとどまらず、マンガや読者コーナー、ポイントを集めて景品と交換など独自の路線を切り開き、個性の強いゲーム雑誌として今でも第一線で活躍している雑誌です。