ではでは、始まり、始まり~。
<ゲーム>
ファミコンの登場
ついにこの日がやってまいりました。
1983年7月15日、
ファミリーコンピューターの発売!!
1983年7月といえば、私は小学4年生。まだまだブームということにはなっておらず、私自身もそんなに気にしていませんでした。
近所に持っている子はいたので、遊びに行った時に少し遊んでいたくらいですかね。
遊んでいたタイトルは「ドンキーコングJR.」、「マリオブラザーズ」、「ポパイの英語遊び」くらいだったと思います。
1984年(小学5年生)頃になってくるとファミコンを持っている子も増え始め、それを目当てに遊びに行くことも多くなってきました。そろそろ欲しいな~と思ってきたのもこの頃だったと思います。
遊んでいたタイトルは「ドンキーコング3」、「ロードランナー」、「デビルワールド」、「F1レース」、「マッピー」、「エキサイトバイク」あたり。
「ロードランナー」はステージを作れるエディットモードが楽しくて、色々考えていました。確か、意図的にバグを発生させるステージ構成があったと思います。当時はノートに書いていて、友達が来るたびにやってみせていた記憶があります。あのノート、どうしたかなぁ。
「F1レース」は夢に見る程欲しくって、夢の中で見ていたパッケージまでハッキリと覚えていたのですが、本物とは全然違うものでした。
「エキサイトバイク」は他のカセットより高くて、高級品というイメージがありました。当時、持ってる子も限られていて、その為だけに遊びに行ってました。
あとこの年には「ワイルドガンマン」、「ダックハント」、「ホーガンズアレイ」という光線銃で遊ぶシリーズも発売されました。これらのゲームは通常のコントローラーではなく、付属の銃で画面に向かって目標物を撃つ、という遊び方です。
私も何度か遊んだ事がありますが、思ったところを狙えず、歯がゆい思いをしていました。
このイメージがずっとあったので、後年、初めてWiiで遊んだ時にはめちゃめちゃ感動しました。
そして1985年(小学6年生)の時、遂に我が家にもやってきました。
・・・といってもその道は険しく。
ファミコン欲しい熱が過熱したのは小学6年生の時で、その時にはもうお年玉も残っておらず、親にねだっても当然買ってもらえるわけもなく。かといって次のお正月までは待てない!と思い、私、考えました。
以前の記事でも書きました「沖縄研修」。
これに行くというと、親戚、知人、近所の人が”餞別”と言ってお小遣いをくれてたんですよ(簡単に説明すると、お土産ヨロシク!ということ)。
その頂いた”餞別”で、お土産をケチってケチって、ファミコン+カセット代(約2万円)を捻出する、という。。。どうです、ズル賢いでしょう?
沖縄研修後、同じ手口でファミコン+カセット代を捻出した友人Aと共に、ファミコンを買いに行きました~。私は「イー・アル・カンフー」、友人Aは「スパルタンX」でした。
![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
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![ポーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/040.png)
![タラー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/099.png)
CASIOのゲーム機
実は、ファミコンより先に我が家にやってきたゲーム機がありました。
CASIOのPV-1000
コントローラーはスティックタイプ。ゲームソフトは「パチンコUFO」と「プーヤン」でした。
父が何かの景品で貰ってきたんだと思います。ファミコンを買ってもらえない鬱憤を、このゲーム機で晴らしていたのですが、けっこうすぐに飽きてしまいました。
SEGAのゲーム機
同じ時期、SEGAからもゲーム機が発売されていました。
SG-1000、SG-1000Ⅱ、セガ・マークⅢ
さすがにSG-1000とSG-1000Ⅱは見た事ありませんが、セガマークⅢは持っている子がいました。
その子はファミコンには目もくれず、ひたすらSEGA信者であり続けました。
私の印象としては、SEGAのゲームはアーケードゲームというイメージです。
ファミリーコンピュータMagazune創刊
1985年7月、世界初のファミコン専門誌が発売。私が買い始めたのはもう少し後になってから。
ネットが無い時代のゲームの攻略情報は学校での口コミとコロコロとこの雑誌のみでした。
この雑誌で特に注目を集めたのが裏技の掲載。
裏技というのは、説明書には書かれていない隠しコマンドだったり、隠れキャラの出し方、コンティニューやステージセレクト、無敵や残数UPなど。あと、ゲームのバグを利用したキャラが変な動きをするとかのコミカルなものもありました。
ある時、その裏技の中に1つだけウソの裏技(ウソ技)を掲載し、それを読者に当てさせるというコーナーが誕生しました。
で、みんなウソ技探しに夢中になるわけですよ。
「忍者じゃじゃ丸くん」でステージのBGMに合わせてⅡコンのマイクで”じゃじゃ丸、じゃじゃ丸”と歌いながらクリアすると次のステージから無敵になる、とか。
コレ私、実際にやりましたが、ずぅーと”じゃじゃ丸、じゃじゃ丸”と言っていると途中から口が回らなくなって”じゃが丸、じゃが丸”と言ってしまってみんなで大笑いしていた記憶があります。
あと有名なのが、「水晶の龍(ディスク)」でメインの女の子と脱衣ジャンケン(野球拳)が出来る!というもの。
コチラの方はこのウソ技のせいで(おかげで?)売上が大幅にアップしたという噂も。
いや私も買いましたが、あくまでウソ技掲載前に買いましたから!(笑)・・・ウソ技は一応、試してみました。
ウソ技探しに夢中になる一方で、本当の裏技探しもやってました。
友達とプレイしてて裏技かな?と思った事はとりあえず投稿するようにしていまして、何度か同じものが掲載されることもありました(投稿者は他人)。
自分達で見付けた裏技が他人の名前で掲載されていた時なんかは本当に悔しくて、とにかく早く投稿しないと!という気持ちでいっぱいでした。
そんなある時、「スーパーチャイニーズ(ナムコ)」の裏技を発売当日に見付け、その日のうちに投稿したことがあって、これは絶対に掲載されるでしょ!?とワクワクしながら雑誌の発売を待っていたのですが、またしても他人名義で掲載されており、はぁ!?となった事がありました。
掲載された子は、発売前の店頭のデモプレイでその裏技を発見したと書かれていて、そりゃあ田舎の自分達はかなわないワ、と思いましたね。
<ホビー>
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すみません、先にちょっとご報告を。
以前の「~就学前まで(1970年代)①」の記事内のひらけ!ポンキッキのところで
”Youtubeでも見付からない曲”、”Wikiにも載ってない曲”として挙げていた、
なんだろんパンダロン、大きいのかな小さいのかな、マンモスの3曲がなんと、YouTubeにあがってました!!
ただの偶然の可能性もあるかと思うのですが、
ページをめくるような音(画像は歌詞を映してます)や音楽が終わった後にボタンを押して止めたような音も入っていて、もしかして音源をデジタル化しているわけでなく、カセットテープを再生してそれをそのまま動画で撮るというアナログ作業をしているのかなと思ったり。
で、デジタル化する方法を知らないということは、同じくらいか上の世代で、もしかして私のブログを読んでくれた方だったりするのかなぁって。
まぁ、1日ほぼ1ケタしか読まれていないブログなので、可能性は低いでしょうがね。
とにかく、数十年ぶりに聞くことができてすごく嬉しかったです。
Youtubeにあげてくれた方、ありがとうございました。
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ということで、<ホビー>は次回以降へ。。。