ルーツ | なんちゃって作家の青息吐息
これも相当古いものです。今じゃやっぱりありがちな内容です。


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 何もかも静まり返っている。闇の中に響く雨の音が次第に大きくなっていく。季節は既に七月も半ばだというのに肌寒く、テレビでは三月下旬の気候だと言っていた。
 私は耳を澄ませる。
 こんな夜は何かを思い出しそうで……。
 忘却の彼方の大切な何か、を。



 ザアザアと降り続く雨。もう梅雨も明けてもいい頃なのに、今年は雨足が弱かったせいかだらだらと、なかなか終わりそうにない。こう雨の日が続くと、決して雨が嫌いではない陽子もさすがに気分がうっとうしくなってくる。かといって、週末でもない今日、仮病をつかって休むわけにもいかない。今日は期末テスト最終日なのだ。高校三年ともなると、大学受験やら就職やら、もうこの時期には結構慌ただしい。
 ――起きなくちゃ……。
 陽子はあまり力の入らない自分の体を無理に起こすと、ピシャッと頬を叩いた。少し頭がスッキリする。
 今日の科目は英語と国語。四年制大学に進学しようとしている陽子にとって、今日は本当に大事な日だった。昔から進みたかった通訳への道が、この試験にかかっているといっても過言ではないくらいに。その実力如何によっては夏休みの予定が変わってくるし、下手をすれば大学のレベルを落とすことにもなりかねない。
「あら、今日は早いのね」
 階段を下りていくと、母の真澄が声をかけた。
「うん…。少し早めに行って、一美ちゃんと勉強するから……」
 そう言いながらテーブルにつく。いつもより、かなり早いにも関わらず朝食の支度はほとんど済んでいる。
 真澄はとてもしっかり者で、家の事は何でもまかせられる、と父である健一はよく言っていた。確かに、料理は上手く、きれい好きでいつも家中片付いている。そして、よく気がつき責任感が強い。かといってやたら気が強いわけではなく、上品で優しい。若い頃の写真を見ても、容姿がほとんど崩れていない…など、まさに良妻賢母を地でいくような女性であった。近所の人達にも評判がよく、陽子も母を誇りに思っていた。そんな母が通訳の仕事をやっていたからか、はたまた遺伝のせいなのか、陽子もまた同じ道を歩もうとしている。
 真澄は黄金色に焼けたトーストを、陽子に差し出しながら言う。
「陽子はホント、手がかからなくてお母さん助かるわ」
「そお?」
「近所の奥さんに言わせると、うちはまるでドラマに出てくるような家庭なんですって」
 寝起きが悪かったおかげで、トーストを一口かじると胃がもたれるような気分になる。
「食べるの無理ならヨーグルトになさい」
 こういう時、何も言わなくてもわかるのだろうか、母親というものは。
「あなたとお母さん、体質がよく似てるから。お母さんもダメなのよ、こういう日……」
 母の気遣いを嬉しく思いながら、陽子は家を出た。
 運がいいことに、雨はかなり小降りになっていた。濡れて、新しくなったような色のアスファルトの上を、水たまりをよけながら歩く。この時間だとあまり車も通らない。
「ういーす」
 ちょっと間延びした声が、後ろから聞こえた。
「あ、左右田君、おはよう」
 同じクラスの左右田真彦は、密かに陽子が憧れている男の子である。勉強も運動も、一通りはソツなくこなしてしまう彼は、女子の間でも結構な人気であるのに、いつも陽子には特に優しい言葉をかけてくれる。
「随分と早いな、清水は」
 ずっと走ってきたようで、額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「少し早めに行って勉強しようと思って…。左右田君は?」
「俺はバスケの朝練。試験中に出てくんの、俺くらいだけど、今年最後だからさ」
「そうだね。がんばってね」
「おうよ。清水もな」
 話ながらも足踏みを続けていた彼は、そう言うや否や飛ぶように走り去ってしまった。つい、クスクスと笑いがこぼれてしまう。
「陽子!」
 声のした方を見ると、工藤一美がニヤニヤしながら立っていた。
「あ、おはよう」
「相変わらず仲がいいですねぇ」
 軽くひじでつつかれる。
「やだ、見てたの?」
 そう言いながらも嫌な気はしない。
「ここは家の目の前ですッ。目に入って当然でしょ」
 少しずつ気分が晴れていった。今朝のヨーグルトが良かったのかもしれない。この分なら、今日のテストは大丈夫だろう。
「でもいいよねー、陽子んちは」
「えー、どうして?」
「美人なのはお母さん似でしょ? 頭はいいし、しっかりしてるし、スポーツもそこそこできる。かっこいい彼がつくわけよね。陽子とおばさん、ソックリだもん」
 確かに自分でも似ているとは思っていた。いや、似ているだけでなく、お互いが考えている事も大体はわかる。だが、母の体内から分裂するように生まれてきたのだ。似すぎていても、おかしくはないだろう。
「そういえば、ここんちの犬も超ソックリなんだよ。あっ、ホラホラ!」
 一美はそう言うと、一軒の家の庭先を指差した。見ると、窓辺に二匹の小型犬がちょこんと座っている。成る程、模様といい、片耳が下がっている所といい、本当にうり二つだった。
 ――似ている……。同じ人形が並んでいるみたい……。
「かわいいよねー。ね、兄弟かな?」
 そうだね。
 そう言おうと思った陽子の口から飛び出した言葉は、
「ううん。……親子よ」
 であった。



 学校を出る頃にはまた、雨がひどくなっていた。胃がもたれるような感覚が、またぞろ上がってくる。
「清水、一緒に帰ろうぜ」
 こんな気分の時、必ず彼が現れる。まるで、陽子の気持ちがわかるかのように。
 ――なぜ、彼は私に優しくしてくれるんだろう……。
 素朴な疑問。
 ……好きだから? 自問自答してみると、少し違う気がする。何だか……そう、監視しているみたいな……。
 なぜ――?
 思イ出サナイヨウニ。
 思い出す? 何を?
『何をするんだ!貴様らは一体何者だ!!』
 ハッとして振りかえると、電器屋の店先に置いてあるテレビで刑事ドラマを映しているのが目に入った。カップルの女性が何者かに車で連れ去られる。男性は追いかけるが、とても追いつけそうにない。
 頭の中が白くなった。まぶたがヒクヒクと痙攣を起こす。
 雨が、降っている。パチパチと傘に落ちては、はじかれてアスファルトに散ってゆく。どんどんその音が大きくなって……。
 アノ日。
 カリフォルニア。英語。
 仕事ノ帰リ道。
 車ノ、エンジンノ音。
 ……健一サン!
 胸の鼓動が激しくなり、眼の奥がズキズキと痛んだ。
「清水?」
 怪訝そうな顔で、彼は彼女の顔を覗きこむ。ふと、テレビのドラマに気づくと、
「ああ、これを見たのか。大丈夫、君には関係のない事だよ」
 ニッコリと微笑み、優しく肩を抱きかかえた。
 関係ノナイ事……。
「君は知らなくてもいいんだ」
 ソウネ……知ラナクテモ、イイ事……。
 記憶は忘却の彼方。遥か昔の闇の中へ。幾度も時を遡ってゆく永遠の想い。二度と思い出すことのないように、特別な鍵をつけよう。人類の未来の為に。



「遅かったな、左右田」
 京王プラザホテル最上階の部屋でこちらに背を向け、窓から下界を見下ろす男がいた。昔、スポーツでもやっていたのだろうか、五十歳を越えたとは思えないほど、ガッチリとした体格の男だ。
「申し訳ありません」
 左右田真彦は深々と頭を下げた。男はそのままの姿勢で、
「G1期のナンバー23はどうだ?確か、清水陽子とか言ったな。報告書は出来ているか?」
「は、そろそろ成長は終わるかと思いますが、一つ問題が……」
「私には報告だけで結構だ。それは科学班に処理させろ。……このプロジェクトが失敗したら人類は滅亡だ。あのいまいましいR菌は、最早世界中に蔓延しつつある。他の国がどこまで成功しているかはわからんが、日本は日本で対策を立てねばならない」
「既に、三十歳未満の、抵抗力のあるクローン人間が約九千人、そうとは知らず生活しています。現在六十歳以上の市民に関しては、感染は免れないかもしれませんが……」
 男は何かを考えているようだったが、やっと左右田の方に向き直ると、大きく息を吐き出して言った。
「ナンバー23は初期化した後、再度M期からやり直せ」
 再び、左右田は頭を下げると言った。
「首相のご随意のままに」


                           終