関東甲信越でNTTドコモの利用者など172万人の携帯が使えない状態になっていたそうです。(先ほど、回復したとのこと)
4月、5月にも、ドコモやソフトバンクモバイルでやはり通信が出来なくなる障害が出ています。
ニュース番組では、現代人の「ケータイ」への依存を象徴するようなつくりの街頭インタビューのやりとりを盛んに放映していました。
斯く言う私も携帯電話への依存度は結構高め。
使いこなせているかどうかは別として、一応、“スマホ”を使っていて、スケジュール管理や、メールなどはPCとの連携アプリを使っていたり、今は仕事でもGPSを利用して歩いた場所を記録したりしています。
ブログは長文になることが多いので、PCからしか更新しませんが、TwitterたFacebookへの投稿は携帯から行うことがほとんど。
やはり使えなくなると少なからず困る・・・。
「生活必需品」に近い存在になっています。
ほんの少し前(たって10年、20年前ですが)まで、決して生活に不可欠とは言えなかったものが、今では手離せないものになっている。
なんとなく、福島原発事故以来の計画停電や今後のエネルギー政策の話とつながるような気がしました。
当然ながら、私は生まれた時から電気に依存する生活を送ってきた訳ですが、日本の家庭に電気が普及したのは、1900年代はじめのこと。
日本人が当たり前に電気を使い始めてからせいぜい100年くらいといったところでしょうか。
そして、今年、「あって当たり前」の電力が一時的とはいえ、停められることになった。
石原都知事のように「天罰」と表現するのは憚られますが、やはり天が我々に何かを伝えようとしているのではないか。
どちらの問題も技術的に克服していくことは可能かもしれません。
科学技術の進歩を否定する気はありませんが、ただ、天が求めているものがあるとすれば、もっと深い日本人の叡智を呼び起こすことではないかと感じてしまうのです。
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