今日は国語の話。
コメント欄に「メガホン侍などと書いているが、“侍”ではなく“浪人”だろう」というご指摘をいただきました。
残念ながら、後半部分に私人の氏名が記載されていましたので、そのコメントを承認することが出来ませんでした。(この際、お願いしておきますが、コメント欄にいただくご意見の中には、鋭い指摘、素晴らしい意見であるのに、民間企業名や私人の名前が書かれていて承認しづらいものがあります。コメントをくださる方にはご留意願います。)
なるほど、なかなか鋭い指摘です(笑)
なのですが、「“関取”と“力士”の違いのように、日本語は正しく使うべき」と続けられては黙っておれません。
一応、中退ながらも大学では日本文学科に籍を置きましたので(笑)
“侍”はいわゆる修辞技法です。
日本語に限らず使われる技法です。
例えば、鮮やかなな手際で人を楽しませる人物などを「手品師」と喩えることがあります。
三島由紀夫も『仮面の告白』の解説文では「手品師」と評されていました。
しかし、三島由紀夫はご存知の通り、“手品師”ではなく“作家”ですね。
また、“一匹狼”と呼ばれる人を「いや、彼は狼ではなく、生物学的に人間だ」と大真面目に言う人はいないでしょう。
だいたい“メガホン浪人”じゃ、締まらないじゃないですか(笑)
また、“大学浪人”、“就職浪人”のように“○○浪人”と使う場合、現代では前にある語を目指してニュートラルでいる状態を表すことが多いので、“メガホン浪人”だと、なんだか“メガホン”になりたい状態のようで違和感があります。
「関取、力士」は現存する役職の名前ですが、「侍、浪人」は現在、正式な役職とは言えないでしょう。
「誤った使い方」という指摘には当たらないのではないでしょうか。
“メガホン侍”という表現一つとっても、分析してみるとなかなか面白いものです。
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