伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定 81回 源頼家  | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 源頼朝の長男が頼家で二男が実朝になります。頼家は苦労知らずで育って頼朝死後、17歳で二代将軍になります。後見役がいる年齢であり、母の北条政子の父親の北条時政と、妻の父親で乳母の夫でもあった比企能員が後見役になります。後見役になった二人は不仲であり、頼家は比企能員に頼るようになります。

 

 自分で政治もやってみるのですが、裁判で係争地の地図の真ん中に線を引き、領地の多い少ないは運だと思えとやってしまいます。こうすれば面倒な土地の訴訟など持ち込む武士はいなくなるという思案でしたが、土地の確保に命を懸けている武士たちの気持ちを考えないもので、武士の土地に対する権利を守るという鎌倉将軍の存在意義を自ら否定する行為でした。

 

 近習を身分を越えて寵愛し、蹴鞠に熱中し、重臣の妾を奪うなどの所業が重なって著しく不人気になったときに、頼家は重病になります。それを機会に疎遠になっていた北条時政が仕掛けます。比企能員の娘との間に一幡という子がいたので、頼家に万が一のことがあった場合は幼児とはいえ後継者はその子に決まっていますが、そうなると比企能員が3代将軍の外祖父になって幕府を牛耳ることが分かっているので、頼家の生母の裁定として、一幡に日本国総守護職と関東28ヶ国の総地頭職を相続させ、頼家の弟の実朝に西国38ヶ国の総地頭職を相続させるということを決定します。

 

 征夷大将軍職はあっても、総地頭職などというものがあるのかどうか、地頭は荘園の現地管理に当たっていた武士が個々に任命されるものであり、朝廷から許可された地頭職設置の際にも、将軍が総地頭になるなんて話は出ていません。頼家を抱え込んでいる比企能員への嫌がらせであることは明白なのですが、比企能員は北条頼政追討を企て、逆に時政によって殺害されます。流人だった頼朝に食糧を送り届けていた比企の尼の家はここで滅亡してしまいます。

 

 みんなが頼家は死ぬだろうと思っていたのですが、奇跡的に重病から回復してしまいます。北条時政と北条政子は、比企氏という後ろ盾を失った頼家を将軍職に復帰させようとはせず、伊豆の修禅寺に幽閉して実朝を3代将軍に擁立して、翌年には殺してしまいます。

 

 よく日本では、母親はどんなときでも我が子のことを思っていて自分の犠牲を顧みないのだといわれますが、北条政子の例を見ればそれが美化された建前でしかないことが分かります。長男の頼家は実家の宿敵である比企能員に抱え込まれてしまっているから存在そのものが邪魔である、二男の実朝は乳母が北条氏であるから、実家の利益になるから将軍に擁立する、そういう感覚で動いているのです。

 

 自分が腹を痛めた子であっても、実家の利益に比べればその存在は鴻毛の如き軽さであり、利用できる者だけを生かして使うという感覚なのです。北条政子のこの時の行動を見れば、子どもを産んだ女性の価値観がどんなものなのかよく分かります。