連載小説ネトウヨ疝気 第1回 | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

基本的に毎日の更新を目指します。コメントには出来る限り返信を付けます、ご遠慮なくコメントを入れてください。

 【この小説はフィクションであり特定の人物団体と関係ありません、特定の人物のことを言っているように感じられても、読み手の気のせいに過ぎません。】

 

 俺様の名前は佐倉衣装(さくらいしょう)これから俺様の世にも数奇な体験をお話しします。

 

 くそらまめが箸泥棒たったころ、無力田岡の名で俺はホストをやっていた。客の指名など付かない最低のホストで、嵌めて売掛金漬けにしても、風俗で稼がせることが出来ないオバサンのところへ行かされ、そのオバサンからもこんな人を寄越すなと、追い払われる状態で、給料など出ず、客の飲み残しの酒と、食べ残しのおつまみで飢えを凌ぐ毎日だった。ネット上では栃木県№1ホストと法螺を吹いていたが、実態は間違いのなくビリホストだった。

 

 そこで俺様は一念発起、名も昼王と変えて、ストリートミュージシャンになった。ギターを持って、愛国者である俺様の得意のレパートリーの「愛国行進曲」「紀元は二千六百年」「紀元節の歌」などを歌ったが、通行人からは、石は飛んでくる、馬糞は飛んでくる、火炎瓶は飛んでくる、手榴弾は飛んでくる、迫撃砲弾は飛んでくるという状態だった。いろんな物が通行人から飛んできたが、金だけは1円も飛んで来なかった。

 

 コスチュームを変えたらと思い、名も短淵と改めて、「ぐんまちゃん」の着ぐるみで街頭に立った。愛されるキャラクターになれば受けると思ったのだが、着ぐるみの余りの暑さに卒倒したところを、「なんで栃木で群馬の宣伝をするのだ」と怒った通行人数十人に、激しく蹴りを入れられ死にそうになった。そのうえ着ぐるみが大きく破れてしまったので、レンタル会社に多額の弁償金を取られる破目になってしまった。

 

 そんな時、名古屋の作家の大先生のブログに、傷痍軍人募金の話が載っていたので、俺様はこれだと思った。思ったら素早く行動に移すのが俺様の取り柄だ、数日後には、佐倉衣装と名を変え、陸軍の略帽に、陸軍病院の入院患者が着る白衣に、素足に下駄履き、松葉杖を突いて、楽器もアコーディオンに持ち替え、前には募金箱と書いた箱を置いて街頭に立った。

 

 歌も、「ラバウル小唄」「麦と兵隊」「異国の丘」に変えた。大陸で艱難辛苦した人、復員で悲痛な思いをした人、抑留で辛酸を舐めた人の同情が得られると計算したのだ。

 

 そうしたら大当たり、募金箱には千円札が次々と放り込まれ、「お国のためにご苦労さまでございました」と言って一万円札を募金箱に入れて行く人もあった。

 

 1年間で1500万円の売り上げがあった。1000万円は今までの借金の返済で消えたが、500万円の現金が手元に残った。これを数年やれば家が買える、そうしたらゴム製の三恵子(仮名)でも、野良猫のさくらでもない、人間の嫁がもらえると思ったが、好事魔多し。     

 

 明日に続きます。