朝廷の機能の崩壊 | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定 第57回 朝廷の機能の崩壊 

 

 奈良時代には、上は従一位の大臣から、下は少初位の令史まで、官位官職があって役人として朝廷で働いていれば国から給与が出ました。当たり前のことですが、平安時代の半ばころから役人に対する給与が出なくなります。

 

 何年の何月分の給与から払われなくなったという記録はないのですが、こういうことは遅配や欠配が繰り返されて、そのうち全く出なくなるといった流れに大抵はなりますから、なし崩しに払われなくなって行ったのでしょう。

 

 国領が荘園に蚕食されるうえに、国司などの地方役人が国領からの税金を着服しますから、平安京の朝廷の蔵に納められる租税が減って行き、役人の給与が払えなくなったのです。しかし役所は存在して役人はいます。役人は朝廷から出る給与ではなく、中位の者は役得や賄賂で生活し、下位の者は役所の機能を利用して生計を立てるようになって行きます。上位にいる貴族たちも、高官になっても給与は出ず、所有する荘園の年貢と、権力者に取り入りたい者が持って来る賄賂で生活するようになります。

 

 中位の、5位、6位の者たちにとって最も役得か大きいのが地方官で、国司になって残っている国領の民衆から収奪をすることで富を得ました。京官でも、役につけば何らかの役得はあります、役職の奪い合いです。役に就いても無給なのですが、役に就けば役得や賄賂が入ります。役得や賄賂集めに熱中して、官庁の仕事の方は殆どやりません。

 

 下位の7位以下の者たちは、勤務する役所毎の生き残りを模索します。馬寮であれば民間の馬を飼育して稼ぐとか、木工寮であれば民間の作事を請け負うとか、大膳寮であれば食材を横流しするとか、役所の現場で働いている下位の役人たちは、所属している役所の機能を利用して生計を立てるようになります。そうなれば、役所としての行政機能は失われ、役人が生計を立てるための会社のような存在に変化して行きます。

 

 もともとらしいことはなにもやって来なかった平安朝の役所ですが、朝廷の組織としての機能は停止して、里内裏に天皇を抱え込んだ摂関家が、子分になっている中下位の役人たちを使って、僅かに残存している行政を処理して行きます。以前には、摂関家の家政機関である政所が政務を司ったとして、政所政治などと呼ばれましたが、家政機関に委ねられることはなく、朝廷の構成員を使って行政をしていたようです。

 

 天皇が摂関家の私邸である里内裏で暮らすようになっているのですから、律令国家の建前は官位官職というかたちで残っていますが、給与が出ないのですから、国家としての公的な組織は存在しなくなり、官位官職は私的な利益の追求を保証するものになって行きます。

 

 摂関家が如何に強大になっても国家にとっては私的な存在であり、摂関家を頂点としての私的な利益の奪い合いが政治となっていて、朕は国家なりの立場を失った天皇家も、私的な一軒の家として天皇の権威を利用して、その私的な利益の奪い合いに参入して、大きな利権を掴むことになります。