天皇家の荘園領主化 | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定 第56回 天皇家の荘園領主化  

 

 中国の皇帝は天下の主であり、国の富は全部皇帝が保有するとなっていました。税金をネコババして私腹を肥やすのは、大臣か宦官であって、皇帝が税金をネコババすることはあり得ないという建前でした。入ってきた税金は全部皇帝のものだったので、ネコババする必要がなかったわけです。

 

 日本の律令制は中国の制度を直輸入したものですから、日本の富は全部天皇のものという建前でした。聖武天皇などはそのつもりで行動しており、この国の富は自分が大仏や遷都に蕩尽してしまっても良いと思っていました。

 

 ところが平安時代になって荘園が増えて行き、国領からの税金も国司の私物化されるようになって、国庫に入って来る税金が激減するようになると、天皇家もこの国の富は全部自分のものだから、臣下の者と争って私腹を肥やす必要はない、なんて呑気なことは言っていられなくなります。

 

 天皇の家である内裏は火災で何度も焼けるのですが、建て直す金が国家になくて、天皇は母親の父の家に居候するようになります。母親の父は、大抵の場合に摂政か関白で、朝廷を支配している人です。これを里内裏と言いますが、政府の機能が摂政・関白の私邸に移ってしまったのです。

 

 国家は建前としては天皇のものなのですが、その国家が空洞化して天皇の家を建て直す金もない状態に成っていました。国領からの税金は全部天皇のものとは言っていられなくなり、天皇家自らが摂関家に対抗するようにして私領である荘園を集め始めます。

 

 地主が国府に税金を払いたくないので、自分の土地を貴族や寺社に寄付して、本人は現地管理者になり、年貢を寄付したことになっている貴族や寺社に、払うようになったのが荘園ですが、これが増えると国府は収入が減るので、荘園を認めず国領に戻そうとします、朝廷もしばしば荘園整理令を出しています。

 

 天皇家はそこに目を付けます。荘園の維持に不安を感じている貴族や寺社に対して、所有権は今のままにしておいて、名義だけ天皇家のものとすれば、荘園整理令の例外になり維持出来ますよと持ち掛けるのです。地主から土地を寄付してもらった貴族や寺社が、天皇家に土地を寄付することになります。

 

 本来の地主が下司職で、寄付を受けて実質的な持ち主になっている貴族や寺社が領家職で、名義上の所有者の天皇家が本所職を持つという複雑な土地支配になり、農民が払う年貢はこの職の得分に従って分け取りされます。この手で天皇家は摂関家を上回る荘園を集めることになり、天皇家の家長は荘園からの年貢で私腹を肥やします。

 

 土地支配の複雑さが日本の中世の特徴であり、歴史区分としては鎌倉開府までは古代になっていますが、天皇家が荘園領主化した時点で律令制の建て前は崩壊して、世の中は中世に突入することになります。