荘園 | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定 第54回 荘園

 

 平安朝は朝廷の税の収納が減り続ける時代でもありました。律令国家の租庸調は、租は米ですが、取れ高の3%を納めれば良く、後世の年貢に比べると大変に安いものでした。庸は布や地域の特産品を納めるもので、調は労役で、都で10日働くことでしたが、都へ行くまでか大変です。調とは別に城造りや都造りがあると労役に引っ張り出され、兵役にも引っ張り出されたので、権力者の道楽で戦争や大仏造りがあると庶民の労役や軍役の負担は大きくなりました。

 

 租が安かったのは地方税で、国府の役人の飯米を確保する程度の役割だったので3%という低さでしたが、出挙というあざとい制度がありました。建て前は困窮している庶民にコメを貸し出す制度でしたが、本当に困窮している人は返済が出来ないので貸し出されません。返済能力がありそうな人に年利5割でコメが貸し出されます、本人が要らないといっても無理やり貸し付けられます。

 

 1石を借りて翌年に1石5斗を返せばそれで終わるかというとそうではなく、返済は利息の5斗しか認められておらず、強制的に貸し付けられた人は毎年永久に5斗のコメを納めねばならず、実質的な課税であり増税となりました。貧民救済の制度でも、日本ではこのような使われ方になったのです。

 

 そんな酷い税金の取られ方をしていたのですが、墾田永年私財法が出来て私有地が増えて来ると、権門と呼ばれる高位にある貴族や大社寺が私有地を集めるようになります。私有地といっても土地が所有できるだけであり、租庸調は公地と同じように課税されます。

 

 権門は免税特権を持っています、私有地を権門に寄付させて、別荘の庭園という名目にすると免税特権が適用されます、それが荘園です。私有地を寄付した人は在地の管理者、下司職と呼ばれますがそれになります。名目上の土地の所有者となった権門に年貢を払わねばなりませんが、国府に租庸調を取られていたときに比べると負担は少なくなります。

 

 これによって国税は減りますが、権門の私的収入は増えますし、納税者の負担も減ります。民の間では、荘園の現地管理者となった者のところに富が蓄積して、後の武士団の武力の源泉になって行きます。