非武装中立政策  | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定 第53回 非武装中立政策 

 

 平安時代の朝廷は、人を殺さない政争と儀式だけをやっていて徹底して政治をやらないものでしたが、民衆はそれほど朝廷を憎んでいなくて、消極的な支持を与えていたように感じられます。

 

 天智天皇のころに、外国の内戦に介入して白村江で惨敗することがあって、そのあと攻めて来ると怯えて、大野城、水城、屋島城、高安城などを作らせます。外征も築城も庶民にとっては大きな負担です、天候不順による飢饉や疫病は天災なのに対して、これは完全に権力者による人災です。

 

 奈良の大仏建立と国分寺、国分尼寺の建設は最悪の大型公共事業です。もちろんこれは聖武天皇の道楽による人災です。

 

 天智天皇のそれは、近隣諸国を反日国家だ、戦争被害は捏造だといって挑発しておいて、攻めて来るから必要だとして、マヨネーズ土壌を埋め立てて基地を作らせ、敵基地攻撃能力が必要だとしてアメリカから中古のミサイルを買い込む行為に酷似しています。大仏建立は無用で膨大な経費がリニア新幹線と同じと考えたら分かり易いです。

 

 昔の人でも天災と人災の区別はつきます、天災は仕方がない、人災になることだけは朝廷にやってもらいたくないと考えていましたから、軍備を廃止して、外国の紛争に巻き込まれないようにして、遷都のような大型公共事業を行わないとの平安京の朝廷の方針は、最低ラインの民衆の支持を得ていたのです。

 

 平安京の朝廷を倒しても、新たに権力を得た者が、張り切って外征やそれに伴う軍備の強化や、遷都などをやつたらなんにもならない、なにもしない現政権の方がマシといったところに、民衆の意識が収斂されて行ったとしても不思議なことではありません。

 

 平将門、藤原純友、平忠常の乱が起きますが、大規模な内戦にはならず、局地戦で反乱軍は壊滅しています。あらゆる階層の人たちを巻き込んでの、巨大な反政府運動には成長しなかったのは、民衆は切実に平安京の朝廷の打倒を望んでいなかったものと推測できます。

 

 隋の煬帝は、大運河の建設と高句麗征討という、大型公共事業と戦争を行ない、随王朝を破滅させていますが、平安京の朝廷はそれと反対に、巨大な資金が必要なことをやらなかったので、長期に渡って王朝が続いたのです。非武装中立政策が基本にあったから、なにも政治らしいことをしないでいても良かったわけで、軍備を放棄して、外国の紛争に関わらないとの政策は偉大なのです。