旧土人は差別語 | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 昨日の記事の続きになります。「『アイヌが先住民族ではない』の査証は沢山ある。」という差別記事に続いて、「アイヌ擁護派が差別語だと言い立てる『旧土人』について」という差別記事をサトウのタケなる者は書いています。

 

 『安政3(1856)年 公文書でそれまで「蝦夷人」と表記していたが、これを「土人」と表記することに決めている。「土人」とは「土着民」つまり「地元民」に相当する意味合い』などと書いています。だから差別語ではないという論法なのです。

 

 辞書には、土人は、土着の人、土地の人、特に原始的生活をしている土着の人と書かれています。ふたつの意味があるわけで、都合の良い土着の人の方だけを取りあげて差別語ではないと論じるのは偏った態度です。

 

 旧土人保護法があったころの日本で土人という言葉がどう使われていたか、南洋群島が日本の委任統治領になったときには、住民たいして南洋の土人といった表現が使われ、そこには日本人の比べると文化の劣った人たちであるとする、日本人の優越感が感じられます。アイヌ人を旧土人と呼んだ背景には、日本人に比べて文化的に劣る暮らしをしていた人たちという気持ちが入っています。

 

 差別というものは、被害を受けている人たちがそう感じているかで決まります。これは虐めやセクハラも同じであり、虐めに遭ったセクハラを受けたと被害者が思えば虐めでありセクハラなのです。加害者がそんなもの虐めではないと言ってみても、それは通る話ではありません。

 

 加害者としてアイヌ差別を正当なものと考えているサトウのタケのような者が、旧土人は差別語ではないと屁理屈を述べ立ててみても、言われて来たアイヌ人が差別だと認識していれば差別語なのです。

 

 戦前においては土人と呼んで、特に原始的な遅れた人たちだから日本人の生活習慣や言語文化に同化するべきだと、民族の個性を摩滅させるような政策を取って来て、戦後は日本は単一民族だからという言葉のもとに、日本には異民族の先住民は存在しないとして、その存在を抹殺する政策を取って来ました。

 

 ここへ来て永年の運動が実って、国連なども北海道の先住民族と認めて、政府もアイヌ文化の保護に動き始めたら、サトウのタケのようなネトウヨが現れて、『アイヌ団体やその取り巻き、名を上げようとする知識人や目先の金(報酬)に転んだ、学者、教授、票田欲しさの政治家などなどがアイヌ協会を筆頭としたアイヌ団体の意向ののままにウソ・いつわりを全国に向けて垂れ流し、ありもしないアイヌの差別と被害を訴え、日本政府に永遠の賠償を迫る一方で、日本国民にはあらゆる媒体(インターネットは勿論、幼児には絵本、子供には副読本、を全国の図書館にバラ撒き)をも使い、日本国民には、そもそも持つ必要もないアイヌへの罪悪感を植え付けようとしている。』などと言って、アイヌ民族の運動の成果を潰しに来る、つくづく日本は酷い国だと感じます。