我儘女性天皇 | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

基本的に毎日の更新を目指します。コメントには出来る限り返信を付けます、ご遠慮なくコメントを入れてください。

 伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定 第41回  我儘女性天皇

 

 阿倍内親王、即位して孝謙天皇ですが、父親の聖武天皇が上皇でいるうちはおとなしくしていたのですが、死ぬと箍が外れたように好き勝手なことをやり出します。ふつうの女性であれば、美味い物を食べるとか、高い衣類を着るとかになりますが、最高権力を持っているのですから人事になります。

 

 好き嫌いの人事というか、聖武天皇が決めて行った皇太子に道祖王が気に入らなくて、聖武天皇が死んだ翌年には廃太子にしてしまいます。理由が、聖武天皇の喪中にも関わらず淫らな行為があったというものであり、自分に配偶者がいなくて一人暮らしなのに、皇太子になった途端に側室を持って、あいつはなんなのだといった気分が伝わってくるようなものです。

 

 そのあと、舎人親王の子の大炊王を皇太子にしますから、この時点では跡目は必要だという常識はまだ維持してしたようです。舎人親王は天武天皇の子であり、廃太子された道祖王もそうですが、持統天皇が排除した天武天皇の庶子の子を持って来なければ仕方がないところへ来ていました。直系とされて来た草壁皇子の系統は孝謙天皇で終了もはっきりします。

 

 孝謙天皇は藤原仲麻呂を寵愛して、相思相愛のような感じで政治を行いますが、民衆のことなどは眼中になく、役所の名称や年号、諡号の言葉いじりに熱中します。

 

 天平宝字、天平勝宝、天平神護、神護景雲、例のない四文字の年号が登場します。太政官が乾政官、中務省が信部省、式部省が文部省、宮内省が智部省、衛士府が勇士衛、兵衛府が虎蕡衛、太政大臣が大師、左大臣が大傅、右大臣が大保、大納言が御史大夫、孝謙天皇が宝字称徳孝謙皇帝、光明皇太后が天平応真仁正皇太后、聖武天皇が勝宝感神聖武皇帝、とこんな具合に、一斉に変えたのですから役所は混乱します、利益は皆無です。

 

 大炊王が位を譲られ淳仁天皇となり、孝謙天皇は上皇となりますが政治の実権は手放さず、政のうち小さいことだけ天皇はやれ、大きな政は自分がやると宣言します。後の世には院政というものがありましたが、この時代には前例のない横暴です。

 

 藤原仲麻呂を寵愛していた孝謙上皇でしたが、病気になって祈禱僧を呼んで回復したところで気持ちが変わり、霊力があると信じたその祈禱僧をのめり込むように寵愛します。