弓削道鏡 | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定 第42回  弓削道鏡 

 

 孝謙上皇が病気になった時に、祈禱僧として弓削道鏡は上皇に接近します。病気が治ると上皇の寵愛は藤原仲麻呂から道鏡に移ります。

 

 道鏡については永らく野心家で、自分の出世欲を満たすために孝謙上皇を騙したとされていましたが、近頃では、道鏡はありきたりの祈禱僧で野心などなかった、上皇が道鏡の気を引きたいので、次々と役職を与えたのではないかと考えられています。

 

 上皇の寵愛が去ってこれは不味いと思った仲麻呂は、挙兵を企てますが、淳仁天皇の身柄を押さえられ、軍勢を動員できる駅鈴と御爾も入手出来ず、近江まで逃げて討ち取られます。淳仁天皇は仲麻呂と近かったことを理由に廃位され、淡路へ流され、そこで脱走を企てたとされて殺されています。

 

 あれほど寵愛していた仲麻呂を殺し、自分が擁立した淳仁天皇を殺した上皇は、再び天皇の位に就き称徳天皇となります。2回目の即位のあとは無茶苦茶です。上皇のときに道鏡に合わせて自分も頭を丸めて出家していたのですが、そのまま践祚したのです。日本史上出家で践祚したのは称徳天皇ただ1人です、こういうルールすら守る気がなくなっていたのです。

 

 僧形の天皇である自分には僧の大臣が必要と言って、太政大臣禅師に任命し、翌年には法王に任命します。仲麻呂と共に変えた役職や役所の名称はもとに戻しています。仲麻呂の唐好みに合わせて役職や役所の名称を変えたのですが、道鏡に傾斜すると、仏教を政治の中心に据えるようになります。

 

 いい年になっているのに皇太子は置かず、後継者の問題になると、道鏡を天皇にすればと考えます。自分の口から言い出すのは流石に恥ずかしいので、宇佐八幡社の神託があったことにします。これは反対派に潰されますが、宇佐八幡社に神託を確かめに行った和気清麻呂を流罪にする乱暴をやっています。八幡神は応神天皇なので、応神天皇が実質的な天皇家の祖と思われていたので、宇佐八幡社になったのです。Y染色体の神武天皇の神託ではなかったです。

 

 この孝謙・称徳天皇と弓削道鏡に対しては、いくら悪口を言っても良いことになっていて、後世にその関係や道教の持ち物に関しても、下ネタそのものの俗説か多様に流布しています。過去の天皇を批判したら大逆罪で死刑になると信じていたネトウヨがいましたが、この約束事を知らないのでしょうね。