櫻井誠氏と神谷宗幣氏  | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 21年の秋から冬にかけて、日本第一党は次々と離党者を出しました。主たる理由は桜井誠氏の臍下問題で、若い男性を党の金で囲っていたという事件があって、党内から批判が起きると、俺の党だ、文句のある奴は出て行けば良いと居直りました。

 

 23年の参政党は離党者続出でした。神谷宗幣氏の不倫問題をN国党の立花氏に暴露されると、日本人の生命と財産を守っているのは参政党だから、不倫なんて些細なことだと言い出して、俺の党だ、文句がある奴は出て行って自分で党を作れば良いと居直りました。

 

 恥ずかしいスキャンダルが出て来るところといい、政党の私物化といい、出て行けとする居直り方といい、櫻井誠氏と神谷宗幣氏はよく似ています。どうして一方が国会議員になれて一方がなれなかったのか。

 

 桜井誠氏は東京都知事選で18万票を獲得したことがありました、参議院の全国比例であれば160万票くらいになるので、立候補すれば当選できるのではないのかと言われましたが、そのあと人気が急落してしまったので、桜井誠氏が国会議員になれる可能性は皆無になりました。東京知事選挙の1ヶ月後に参議院選挙があれば桜井誠氏は当選していたでしょう、その点では運が悪かったのです。

 

 神谷宗幣氏は、投票したい政党がなければ自分たちで作ろう、参政党の政策はまだ決まっていません、入党した党員の議論で政策は作られます、という大嘘を言って党員を集めました。実際は神谷宗幣氏の独裁なのでこんな嘘はすぐにバレますが、運が良いことにバレる直前に参議院選挙があって、嘘を信じて入って来た党員を踏み台にしてまんまと国会議員になりました。

 

 その能力も、人間性も、スキャンダルの質も、やって来たことも、居直り方も、党の私物化も、桜井誠氏と神谷宗幣氏の間には殆ど違いがないのです。その違いは、嘘で騙して作り上げた支持がピークのときに、参議院選挙があったのか、なかったのかという点に尽きます。

 

 分かり易く言えば、桜井誠氏は運が悪かった神谷宗幣氏であり、神谷宗幣氏は運が良かった桜井誠氏なのです。