掛乞 | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 今日は大晦日です、大晦日と言えば借金取りです。季寄せでは掛乞となっています。落語では掛取で出て来ますので、今では掛取の方が一般的になっています。

 

 大晦日に一年間の勘定を取りに行くとなっていますが、大晦日でなければ集金できないという決まりはなく、取りやすいところは二十日ころから集金を始めます。大晦日まで残っているのはかなり難しいところです。

 

 一年に一度の集金というのも大袈裟な話で、大名や旗本相手の商売は、年末に年貢米の売却代金が入ってからになりますから、多くの場合は年末の一括払いですが、町の商家の支払いは盆暮れの二回が多く、町の庶民の支払いは月末払いが多いのが現実でした。支払う側の信用によって、取り立て迄の期間が違ったわけで、庶民相手に一年間も支払いを待つような商人はいません。盆暮れ払いでも、月末払いでも、年末に取り立てが重なるのは同じことで、年末から大晦日にかけては金銀が激しく動きました。

 

 昔は大晦日さえ切り抜ければ、翌年の大晦日まで一年間支払う必要がなかったと解説する人がいますが、そんなことをしていたら掛け売りをしている商家の経営が破綻します。正月は縁起を担いで集金はしませんが、小正月が終わった辺りには取りに来ますから、その間に現金を用意しなければなりません。借りている者の方から、支払えない場合には、松が取れたころにはなんとかしますと言うのがふつうでした。落語の掛取噺でやるように、取りに来た商家の者を追い返せば勝ちなどというものではなかったのです。

 

 小林一茶が大晦日に家賃が払えなくて家から追い出されて、風呂敷包ひとつを持って正月の町をほっつき歩いたという話かありますが、借りている側に極端に信用がなければ、正月明けまで待つことなく、その場で追い出してしまうこともありました。大晦日さえ凌げば良いといった甘いものではなかったのです。落語の掛取噺はこうあって欲しいという、聞き手の願望に合わせて作られたもので、江戸時代の史実ではありません。

 

 私大という今では完全に忘れ去られている季語があります、私大と書いて、わたくしだい、と読みます。東北地方の一部で江戸時代に行なわれていた慣習で、12月が29日で終ってしまう年は、私的に1月1日を12月30日として、借りている金を精算できる日を1日延長するのです。稼げる日が1日減ると支払いに窮する人が出てしまうので、12月が小の月であった場合に、私的に30日まである大の月にするので私大なのです。

 

 ぎりぎりのところで年末の支払いを済ます人が多くいた貧しさのなかで発生した慣習でした。今は古い季寄せのなかにだけ残っています。