新年がきました | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 除夜は大晦日の夜を言い、年の夜とも言います、季語としては仲冬のものとされていて、新暦では十二月になっています、除夜の鐘も除夜詣も大晦日の午前零時を過ぎてからのことです、新年になってから除夜の鐘は撞かれますし、除夜詣での人たちは午前零時を合図に寺社に入って来ます。午前零時を過ぎているのですから、除夜の鐘や除夜詣は新年の行事になるはずですが、季寄せでは大晦日の行事なのです。

 

 今は大晦日の夜はみんながテレビを見ていて、午前零時になると、テレビが騒ぎ立て、年が明けました、正月が来ましたと言います。全国に均一に一秒の狂いもなく同時に新年がやってくるのです。しかしこれは正確な時計が作られるようになってからのことであり、テレビが新年を紹介するようになったのは、テレビが各家庭に入ってからのことです。

 

 昔の暮らし方では、午前零時に除夜の鐘が撞かれ始めて、除夜詣が始まっても、それは新年がやってきたことにはならず、大晦日の集金の終了を告げる合図でしかなかったのです。庶民にとっての新年の始まりは初日の出でした。季寄せでは、新年最初の行事は四方拝となっていますが、これは宮中で日の出前に天皇が四方を拝む行事で、庶民とは無関係でしたから、庶民にとっては初日の出が正月の始まりでした。

 

 日の出から新年が始まるというのは、正確な時計がなくて、日の出と日の入りを目安として一日を考えていた時代には、午前零時からの新年よりも、日の出と共に新年がやって来る方がる暮らしの中の感覚としては自然なものでした。江戸時代の時の鐘は、日の出が明け六つ、日の入りが暮れ六つで、その間の時間を六等分して一刻と数えましたから、明け六つが一日の始まりという感覚だったのです。

 

 しかし掛乞が走り回っていた大晦日は午前零時の鐘で終っているのです。それでいて、その直後に始まる除夜の鐘や除夜詣では新年ではなく、旧年中の行事とされています。一秒の狂いもなく新年がやってくる今の感覚からすれば変なのですが、江戸時代の人にとっては、今のようなカウントダウンをやって、0になったら新年ではなくて、除夜の鐘から明け六つの鐘までは、旧年でもない新年でもない過渡的な時間の流れがあって、初日が顔を出したら正月が来たという感覚だったのです。

 

 過渡的な時間の中で、旧年に近い除夜の鐘や除夜詣では年末の行事に区分され、夜明けに近い四方拝は新年の行事に区分されたと考えるべきでしょう。

 

カウントダウンで新年がやって来るのは、ごく新しい慣習なのです。時間がゆったりと流れていたころは、新年もゆっくりとやって来たのです。