熊本の地震、そしてその直後のイオンモールの爆発。
そしてこの酷暑。
ただただそこで暮らす方達のことを考えると、どんな言葉をかけたらいいのかわかりません。
ただ一方で、自分は安全で快適な場所にいるからこんな事を書けるわけで、こういう事を書いていいのかどうかということも同時に考えてしまいます。
そして、今回の災害が起きたのと同じ日。
某国で少し前に起きた動物虐待に関する事件をたまたまた目にし、それに対する怒り、痛み、悲しみ、いやそんな言葉では言い表せないくらいの負の感情が芽生えました。
また、今回の地震による災害にしても、動物虐待の事件にしても、日本という国で起きた災害である分そこに思い入れが強かったり、事件としてメディアで取り上げられたからこそ知ることができたということで。
世界では戦争をはじめとして悲惨な状況にある地域や人がたくさんいるし、動物虐待に関しても自分が見ようとしていないだけなのもわかりきっています。
ただそこを直視すると、自分がやられるから目を逸らそうとしている。
そんな逃げの姿勢で、こういった事を書く事自体
迷いがあるものの、何も具体的なことができなくても、「強い思い」というのが集まることによって、それが物事を動かす力になるのではないかと思いますし、そうなって欲しいからこそこうやって思いを言葉にしているのかもしれません。
自分の力だけではどうしようもないことに対して、ただただ祈ること。
それは実際に行動を起こしている人から見れば、甘っちょろいと感じさせてしまいそうですが、物事を解決しようと具体的に考え動くことが6ハウス的だとしたら、「祈り」や「念」といったものは12ハウス的と考えます。
「神頼み」というのも12ハウスっぽい。
ただ占星術的には、6ハウスと12ハウスは関連したハウスとして考えます。
多くの強い思いが集まることで、それが具体的な問題解決につながることもありますし、物事を動かす力につながることもあるはずです。
「因果応報」という言葉がありますが、強い負の感情が集まる事で、直接的にではないけれどダメージを与えることは可能だとも思っています。
殺意なんて言葉では言い表せないくらいの負の感情を多くの人にぶつけられた人や対象は、どういう形ででるかはわかりませんが無事でいられるとは思えないのです。
ただ祈ること。
それは無意味なことのようにも思えるけれど、だからといってやらないよりはいいのかもしれません。
いろんなことが起こっても、今のところわたしの日常は続きますが、日常だからこそできることをすればいい。
6ハウス的に働いて得たお金で寄付をすることもできますし(ちなみに寄付自体は12ハウス的です)、災害地に対してふるさと納税などで支援することだってできます。
そしてあえて見ないふり、気づかないふりをしている部分に対して。
多くの人の思いが集まる事で、法的整備が進んだり、公の場に引っ張り上げられてもっと今より問題視されるようになってくるかもしれません。
国として、世界として無視できない状態にもっていく。
実際、「これはおかしい」と子供の頃から思っていたものの少数派であった考えが、今ではスタンダードになってきたと感じる場面も多いですし、目を背けたくなることも多い中、それでも変わってきているように感じます。
ただ、地球規模で考えると、まだまだで。
日々自分が生きるか死ぬかの状況にいる人達にとって、同じように考えて欲しいと思う事自体が無理なのもわかっています。
ICが不安定な状態だと、MCである社会に目を向けることは難しいですし、太陽よりもまずは月を満たす必要があるわけです。
人から後ろ指をさされるような生き方は、太陽を無視している状態だと思いますが、生き抜くためにはそんなことは言ってられません。
わたしだって環境のことが気になるけれど、エアコン使わないという選択肢はないですし。
そしてそれはその人が悪いわけではなく。
置かれた環境によって考えはつくられるし、こんな風に安全圏にいるからこそ、綺麗事を言えるわけで。
それでも強い思いは無駄にならない、そう信じ続けたいなと思うのです。