今日はいつもに増してポエミーな記事になりそうな気がしますので、最初にお断りしておきます。

 

なんかこう、朝から雨ですが、この季節の雨は長かった夏の終わりを感じさせますね。

 

須藤理彩さんのX(旧Twitter ←まだ必要?)で、今日がブンブンサテライツの川島さんの命日だということを知りました。

娘さんお二人の成長を考えても、時は進んでいるんだなーと。


昨年も書いてましたね、過去記事です。


占星術で星を身近に感じるようになるまでは、「終わり」はそのまま「終わり」以外の意味はみいだせず、そこから未来にはつながるなんて想像もできませんでした。

 

ですが、望む望まないにかかわらず、何かを終わらせた時、それまであったものが「0」になってしまうのではなく、ちゃんとつながっていくんだなぁというのを今更ながら少しずつ理解できるようになってきています。

 

ひとつの季節が終わっても、ちゃんと次の季節は始まるし、ハードな星の影響を受けて何かが終わったとしても、それは「始まり」の為には必要なことだったと後から気づいたり。

 

12サインを見ても、巡り巡っていくものだなーと。

そしてこういう思考になると「平家物語」の冒頭の「祇園精舎の鐘の声~」をなぜか思い出します。

 

 

私は個人的な「別れ」の記憶から、「金木犀の香り」や「桜のつぼみが膨らみ始める頃のまだ冷たいけどちょっと春を感じる風」の頃になると、なんかこう、胸がきゅっとなるような、刹那的な気持ちになることが多かったんです。

 

もちろん今でも同じような気持ちになることはありますが、そこにちょっと「希望」とか「未来」の風味が混じるようになってきたんですね。

 

これは自分の中で大きな変化だなーと思います。

 

柔軟宮から活動宮への変化というのはわりとパキっとしてると思いますが、特に「魚」から「牡羊」はわかりやすいですね。

 

春の芽吹きの勢いの良さ。

 

柔軟宮はうつりゆく状況に最適に合わせることが得意ですが、逆に先の見通しを立てすぎると行動が制約されてしまい、その特性を活かしにくくなるようなところがあります。


目的地は適当に、が重要であるというか。

 

双子に「集めた情報や知識は何の役に立つの?」

乙女に「そんなに資格ばっか取ってどうするの?」

射手に「自由にするのもいいけど結局何がしたいの?」

魚に「人の気持ちを受け入れるのはいいけれど、あなたはどうなの?」

 

と聞くこと自体が間違っているというか、目的を持たないからこそ、変化に対応できるのが柔軟宮だと思います。

そしてやっぱり「受け身」だったり「迷いやすい」傾向があることは確かです。

 

ですがそれが悪いことというわけでもなくて。

 

結局次の「はじまり」の活動宮につなぐためには必要な部分なんですよね。


状況に合わせながら、迷いながらもいろいろ試行錯誤した経験というのは、次の一歩を踏み出すための大きな力になるわけです。

 

そう思うと、「終わり」や「別れ」に対する寂しさや辛さは次につながっていくものなのかもしれない。

 

その渦中にいるときは苦しいかもしれないし、先行き真っ暗な気持ちになるかもしれませんが、そこを経験することで新しい展開につながっていくのであればいいなと思います。


自分自身に置き換えてもそうですし、他の人にとってもそうであるといいなぁと思うのは、マイナス思考でずっと生きてきた自分の大きな変化だと思います。

 

 

そんなことを考えた、雨降り休日の朝でした。