2004年に出資者が夜逃げして、報酬(100万近く)がもらえなかった案件があったのですが、僕に仕事を依頼した会社は存続していて、売り掛けが焦げ付いた状態が1年ほど続いていました。

虎穴に入らずんば虎児を得ず、ということでその会社の一角を占拠、というか机2つを借りて
事務所スペースとして使わせてもらうことしました。

そんなある日、その会社の社長さんから1000万の仕事を持ちかけられます
過去に苦い思いをさせられているので、話半分で聞いていたのですが、
どうやら大阪の上場企業からの案件らしく、その会社の偉い人も来社するようになりました。

よし、どうやら案件は本物らしい。

おそらく大変な案件で、無事終わるかわからないけど、なんとか生き延びれば今後の資金ができる!
いろいろとワケあり案件をこなしてきたおかげで「まぁ、なんとかなるだろ」と変な度胸がついていた僕はその案件を請けることにします。 

・全く存在しないパッケージソフトを売り込みにいって、契約をとってしまった。
・クライアント側の偉い人にワイロ渡してるっぽい?
・クライアント側の現場の人には「なんだあの怪しい会社は?」みたいな扱い
・自社で作ってるようにみせかけて実は上海の会社に作らせている
などなど、ネタのつきない案件でした。

大阪と東京を行ったり来たり、ときには上海に出張して、半年がかりでシステムを作り
なんとか1000万の支払いも完了します。

資金ができる > 時間ができる > 今後のことを考える、という流れで
「小説やマンガも諦めたことだし、会社をつくろうか!
とかなんとか考えていた矢先、知り合いの紹介でFさんと知り合います。

その頃、Fさんは会社を退職して仲間と起業の準備中。
そこに僕も参加することになりました。

かくして2005年9月、東京に新しいWEB制作会社が1つ産声をあげました。
僕はその会社でWEBディレクターになりました。
26歳の頃でした。

おしまい
仕事をしながら100万円貯めて、マンガ作りをしよう!というところで前回は終わったと思います。
それが2003年くらいだったかな?

3年ほど住んでいた4畳半風呂無しの部屋を出て、司法試験の受験勉強をしていた友人とルームシェアを始めました。
池袋の駅から徒歩10分ほどのアパートで、となりのブロックにはラブホテルがあるようなところでした。
面白い作品を作るには面白い生活をしなければならない、みたいな考えがあった気がします。

夜な夜な街を散歩して人間観察みたいなことをしていました。
ま、深夜に発売される週刊マンガを立ち読みしにいって、ついでにウロウロしてた感じです。
変な人に追いかけられてタクシーで逃げたり、謎の血痕を見つけたり、それなりに面白いシチュエーションに出会うことはできました。

マンガのシナリオ的なものも幾つかできて、貯金も貯まってきたので、とうとう僕とヨメはバイトをやめます。
今思えばあの頃は無職だったのかな?一応個人で請けてた案件があったからフリーランスかな?
そんな感じの状態です。マンガ制作生活に突入です。
マンガ制作に突入したはいいのですが、ふと気がつくと、僕のやることがありません。
制作に入ると絵を描く側の作業が多かったのです。

というわけでヨメにマンガ作りをしてもらって、僕はフリーランスのプログラマー的な仕事をはじめました。
「面白い作品を作るには面白い生活を」という気持ちがあったからなのか、2004年近辺は変な仕事が多かったなー。

僕が納品した会員管理システムを流用して振り込め詐欺をやってる会社があったり、
新規事業を立ち上げるからということでシステムを作ってあげたらそこの出資者が夜逃げして、
報酬(100万近く)がもらえなかったり
。。。

その頃の教訓・・・「ダメそうな人はダメ!」

40くらいのおじさんで、それなりにコネクションも経験もありそうなことを言う人を完全に信じちゃってたと思う。
こっちは社会経験のない24歳の若者ですからね。いい経験になりました。
大学時代の友人には「リアルでナニワ金融道みたいなことしてるんだ!」なんて言われてたっけ。

ヨメがマンガ作り、僕がプログラマー、という生活は1年くらい続きます。
作った作品を知り合いに見てもらったり、新人賞みたいのに投稿したり。
でも結果はダメでした。現実は甘くなかった。

そしてヨメはマンガ制作をやめてデザイン会社に入社します。
念願かなってデザイナーの仲間入りです。
個人でのホームページ作りを通して制作実績を作り、
マンガの制作は全てIllustratorとPhotoshopで作っていたので、実力がついていたんだと思います。

僕の方はというといつの間にかシステム開発の受注が増えて
学生やフリーランスのメンバー数名で作った開発チームを率いる感じになっていました。

そしてある日、「予算1000万の仕事」が舞い込みます。

つづく
小説家になると言ってフリーターになったものの、小説を書いたことはありませんでした。
読むと書くとは大違いで、なかなかモノになりません。

2000年代初頭、巷ではホームページを持つ会社が増えてきていました。「パソコンができる人」である僕のところにも、君ならホームページ作れそうだよね、みたいな依頼がくるようになります。

一方、デザイナー志望だったヨメですが、美大卒でもなんでもない未経験者を採用してくれるデザイン会社はなく、DTPオペレーターのアルバイトをしていました。

ヨメがデザイナーになるためのサポートという意味合いもあり、僕が個人でとってきたホームページ案件を、ヨメがデザイン、僕がディレクション兼プログラミングというスタイルでこなしていきます。

そうこうしているうち、僕の進む方向は小説じゃなくて漫画にしよう、自分がシナリオを書いてヨメに絵を書いてもらおう、と考えはじめます。

仕事をしながらの作品作りはなかなか難しいので100万円貯めてそれを資金に3か月くらい作品作りに没頭しよう、ということにしました。

というわけでバイトの合間にホームページ案件をこなす日々がはじまります。

つづく