仕事をしながら100万円貯めて、マンガ作りをしよう!というところで前回は終わったと思います。
それが2003年くらいだったかな?
3年ほど住んでいた4畳半風呂無しの部屋を出て、司法試験の受験勉強をしていた友人とルームシェアを始めました。
池袋の駅から徒歩10分ほどのアパートで、となりのブロックにはラブホテルがあるようなところでした。
面白い作品を作るには面白い生活をしなければならない、みたいな考えがあった気がします。
夜な夜な街を散歩して人間観察みたいなことをしていました。
ま、深夜に発売される週刊マンガを立ち読みしにいって、ついでにウロウロしてた感じです。
変な人に追いかけられてタクシーで逃げたり、謎の血痕を見つけたり、それなりに面白いシチュエーションに出会うことはできました。
マンガのシナリオ的なものも幾つかできて、貯金も貯まってきたので、とうとう僕とヨメはバイトをやめます。
今思えばあの頃は無職だったのかな?一応個人で請けてた案件があったからフリーランスかな?
そんな感じの状態です。マンガ制作生活に突入です。
マンガ制作に突入したはいいのですが、ふと気がつくと、僕のやることがありません。
制作に入ると絵を描く側の作業が多かったのです。
というわけでヨメにマンガ作りをしてもらって、僕はフリーランスのプログラマー的な仕事をはじめました。
「面白い作品を作るには面白い生活を」という気持ちがあったからなのか、2004年近辺は変な仕事が多かったなー。
僕が納品した会員管理システムを流用して振り込め詐欺をやってる会社があったり、
新規事業を立ち上げるからということでシステムを作ってあげたらそこの出資者が夜逃げして、
報酬(100万近く)がもらえなかったり。。。
その頃の教訓・・・「ダメそうな人はダメ!」
40くらいのおじさんで、それなりにコネクションも経験もありそうなことを言う人を完全に信じちゃってたと思う。
こっちは社会経験のない24歳の若者ですからね。いい経験になりました。
大学時代の友人には「リアルでナニワ金融道みたいなことしてるんだ!」なんて言われてたっけ。
ヨメがマンガ作り、僕がプログラマー、という生活は1年くらい続きます。
作った作品を知り合いに見てもらったり、新人賞みたいのに投稿したり。
でも結果はダメでした。現実は甘くなかった。
そしてヨメはマンガ制作をやめてデザイン会社に入社します。
念願かなってデザイナーの仲間入りです。
個人でのホームページ作りを通して制作実績を作り、
マンガの制作は全てIllustratorとPhotoshopで作っていたので、実力がついていたんだと思います。
僕の方はというといつの間にかシステム開発の受注が増えて
学生やフリーランスのメンバー数名で作った開発チームを率いる感じになっていました。
そしてある日、「予算1000万の仕事」が舞い込みます。
つづく
それが2003年くらいだったかな?
3年ほど住んでいた4畳半風呂無しの部屋を出て、司法試験の受験勉強をしていた友人とルームシェアを始めました。
池袋の駅から徒歩10分ほどのアパートで、となりのブロックにはラブホテルがあるようなところでした。
面白い作品を作るには面白い生活をしなければならない、みたいな考えがあった気がします。
夜な夜な街を散歩して人間観察みたいなことをしていました。
ま、深夜に発売される週刊マンガを立ち読みしにいって、ついでにウロウロしてた感じです。
変な人に追いかけられてタクシーで逃げたり、謎の血痕を見つけたり、それなりに面白いシチュエーションに出会うことはできました。
マンガのシナリオ的なものも幾つかできて、貯金も貯まってきたので、とうとう僕とヨメはバイトをやめます。
今思えばあの頃は無職だったのかな?一応個人で請けてた案件があったからフリーランスかな?
そんな感じの状態です。マンガ制作生活に突入です。
マンガ制作に突入したはいいのですが、ふと気がつくと、僕のやることがありません。
制作に入ると絵を描く側の作業が多かったのです。
というわけでヨメにマンガ作りをしてもらって、僕はフリーランスのプログラマー的な仕事をはじめました。
「面白い作品を作るには面白い生活を」という気持ちがあったからなのか、2004年近辺は変な仕事が多かったなー。
僕が納品した会員管理システムを流用して振り込め詐欺をやってる会社があったり、
新規事業を立ち上げるからということでシステムを作ってあげたらそこの出資者が夜逃げして、
報酬(100万近く)がもらえなかったり。。。
その頃の教訓・・・「ダメそうな人はダメ!」
40くらいのおじさんで、それなりにコネクションも経験もありそうなことを言う人を完全に信じちゃってたと思う。
こっちは社会経験のない24歳の若者ですからね。いい経験になりました。
大学時代の友人には「リアルでナニワ金融道みたいなことしてるんだ!」なんて言われてたっけ。
ヨメがマンガ作り、僕がプログラマー、という生活は1年くらい続きます。
作った作品を知り合いに見てもらったり、新人賞みたいのに投稿したり。
でも結果はダメでした。現実は甘くなかった。
そしてヨメはマンガ制作をやめてデザイン会社に入社します。
念願かなってデザイナーの仲間入りです。
個人でのホームページ作りを通して制作実績を作り、
マンガの制作は全てIllustratorとPhotoshopで作っていたので、実力がついていたんだと思います。
僕の方はというといつの間にかシステム開発の受注が増えて
学生やフリーランスのメンバー数名で作った開発チームを率いる感じになっていました。
そしてある日、「予算1000万の仕事」が舞い込みます。
つづく