仕事が忙しくて、でもやりがいがあるのが一番楽しいですよね!

 

でも、仕事がやりがいなくて、楽しくなかったら、苦痛でしかない。

 

しかも、その作業に対しての対価(給料)が自分の求める以上でないと、「無理やり脳みそがこの作業を”楽しい!だから頑張ってる!”って勘違いしてしまう」からややこしい。   

 

→参考記事ふろむだ、さんの『人生は運よりも~~』

 

でも、むしろ脳が楽しい!って勘違いしてくれるんだったら、それはそれで幸せじゃね?

って思っちゃったら、普通の人になるわけです。

 

自分のやりたいことを見つけて、ハマって、没頭して、熱中するのって難しい・・・のかな?

 

僕にはまだ自分がハマれることが見つかっていないです。

 

 

このまえ高校の同窓会がありました。

 

40歳くらいの先輩まで集まりました。

 

僕の高校は関西なので、関東にいる人限定なのでしたが、わざわざ関西から来られる人もいて、20人くらい集まったかな。

 

で!

やぱり僕の高校、金持ちの子供が多かったです。

いや~、高校生の時はあんまり気づいてなかったんですけど、「自称進学校」で、さらに「授業料が高い」ので、金持ちの子供が多かったんだと思います。

 

今は、割と名前も売れてきて、有名な方になってきたかとは思うんですけど、昔はへなちょこでしたからね、うちの高校。

 

じゃぁ、いったいどんな金持ちの子供だったのかというと、

 

超有名大企業の創業者の御曹司とか、親が大病院経営者で仕方なく医者になった人とか・・・

 

まぁ、凄いのは全部、親ですけどね!

 

もうね、ああいう人達は、生まれた時から違うんですよ、僕たちとは。

 

もはや一般家庭ではないですからね。

 

 

その飲み会代金はもちろん(?)御曹司の方が全て現金で払ってくださいました。ありがとうございます!!!!!

 

「え?カードが使えないの?銀座なのにここは銀座のへんぴなとこだしどうなってるんだ!?」ってちょっと笑って現金引き出しにいってましたけどね、「今現金30万しかもってないや」って、飲み屋の店に来て速攻コンビニに現金引き出しにいってました。

 

・・・足りるでしょw

 

 

 

 

 

それと、医師免許取ってるけど、ぷー・たろうやってる人は、何浪して某私立医学部に(裏口)入学し、10年かけて大学を卒業し、さらに何回か・・・あ!某HZM先生とマンツーマンで1年間指導を受け、やっとのことで医師国家試験に合格し、初期臨床研修はやらずにぷーたろうやってると言っていました。

 

親のすねみたら太すぎた

とのことです。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・いいなぁwwwwwwwwww

 

 

そんな感じで、びっくりするような金持ちの人がいたんですけど、もっとびっくりしたのが、バツイチの36歳くらいの弁護士の先輩です。

 

なんと、「マッチングアプリ」で1か月に20人以上とヤッチャったそうです。

 

Mjikayo。

 

 

しかも、その某マッチングアプリで、全国3位にまで上り詰めたらしいですwww

 

ほんで、6か月契約だったらしいんですけど、強制退会させられたそうです。(笑)1か月で。しかも、残りのお金は返金なしだったそうです。

 

ここで僕は未来の僕に文章を書きたいと思う。

 

未来の僕が作ったブログ

 

 

将来の僕、元気ですか?

僕は今、栃木の田舎で、クソつまんないです。

でも、今日東京に帰ります。やった~

 

ところで、僕は今、何も持っていない。

 

お金もないし、両親と兄弟、おばあちゃんおじいちゃん、従兄とかの家族はいるけど、自分の奥さんはいない。子供もいない。

 

将来の僕は、守るべき自分の家族がいるだろう。

築き上げた財産や、地位や、名誉、失いたくないものがたくさんできているだろう。

 

守るべきものができた今、将来の僕はどういう心境ですか。

 

たぶん、充実してるんじゃないかな。

 

 

 

最近思うんだよね。

 

自分のために、っていうときより、誰かのために、って思った時の方が力が湧くことがあるよね。

 

でも、それは、自分と関わりのある人じゃないと、あまり効果ない。

 

自分を犠牲にしてまで頑張る必要があるときは、自分が大切に思っている人の場合だけだ。

 

自分が大切に思える人がいる。それだけで幸せなことだと思う。

 

 

 

 

 

 

今の僕は、本当にだめだめだ。

 

毎日こんなに時間があるのに、何にも生産的なことができてない。

 

それで、毎日自分の不甲斐なさに自己嫌悪に陥って、なんか、辛い。なんにもしていないことが、辛いんだ。

 

楽しいことも、ない。

 

 

 

 

 

たぶん、将来の僕は今のこんなに時間のある今の僕に「何やってるんだ!」って怒ると思う。

 

もっとやれることがあったんじゃないか!って。

 

自分も大学生の自分に思うもの。

 

 

でも、こんなだめだめな自分でも、この栃木の2か月で、いろんなことを学んだよ。っていうか、自分の心と向き合った。

 

 

覚えてる?

 

小児科回った時、重症身体障害者の子供を見て、湧いたあの感情。

 

なんでこの子は生きているの?って。

 

神様はいるの?って。

 

生きる意味についていろいろ考えたよね。

 

で、僕が出した結論は、「その子が生きていることで、周りの人がいろんなことを考える、感情の渦が起きる、このこと自体がその子が生きている意味なんじゃないか」だったね。

 

 

 

 

それと、栃木で友達もいなくて、思ったことは、

 

「人と話すことは大事」ってこと。

 

 

誰ともしゃべってなくて、久しぶりに東京に帰った時に、一人でしゃべりまくったよね。楽しかったな。

 

 

 

結論は、「田舎はつまらん」ということだったね。

 

でも、本当は「田舎がつまらない」んじゃなくて、「田舎で誰とも繋がりがないこと」がつまらないんだよね。気づいているけれど。

 

 

 

田舎でも、友達や家族や、仲良くしている人がいたり、自分が夢中になれる何かを見つけることができれば、楽しいよね。きっと。

 

 

僕は、まだ田舎で楽しむための術を見つけられなかったから、つまらなかったし、田舎なんて最悪だ!って思ってたけど、皆が皆そうではないものね。

 

 

 

 

って、他にも、いろいろ考えたことをこの記事に書いてあるから、読めば自分の思っていることがわかるよ。

 

 

 

 

ふぅ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「未来の自分へ」とか凄いあれな記事書いちゃったけど、そんなことどうでもよくて、東京に帰れることが嬉しい。

言葉に出して、自分の思考を整理すること、これは本当に大事だと思う。

 

さらに言えば、人間が人としていられる意味は、言葉を使えるからなのかな、とも思う。

 

脳が損傷して、ウェルニッケ野とかブローカー野がやられてしまって言語が上手く扱えない人は本当に可哀そう。

 

 

感情を上手く伝えられなかったり、他の人が言っていることを理解できなかったり、やられている部位によるけど、そのストレスは相当なものだと思う。

 

 

言葉が理解でき、言葉を使えること、本当にありがたい。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

 

ところで、自分の思っていることをこのブログに書きだし始めて、ほぼ3週間くらい経った。

 

1日に何個も記事をアップする時もあれば、更新しない日もあるが、大体、自分の忙しさと連動していることが多い。と思う。

 

ヒマな日は、いっぱい記事を書けるし、忙しい日は書けない。当たり前だけど(笑)

 

 

そして、3週間しか経っていないのに、もう記事が30個を越しているというのにびっくりした。

 

 

というのも、自分は3日坊主の性格なので、これだけ続いたことが初めてだからだ。

 

 

そして、どうしてこれだけ続いているのか、やっと気が付いた。

 

 

「他人の目を気にしてないからだ」

 

 

 

そうなのだ。僕は今まで、何かBlog書いたり言葉を発する時、「いつも」他人の目を気にしていた。

 

 

知人同士がフォローしあう、SNSの場合は、特に気にしていたから、「ほとんどSNSで発信することはなかった」

 

さらに、こういう誰が見ているかわからない場での発言は、社会的な問題が起きるのではないかといつもびくびくして、なぜだかあまり思ったことを発言できなかったし、さらに、「面白い記事にしなければ」と考えれば考えるほど、自分の言葉で何かを書くことができないでいた。そんな心配は必要ないのに。

 

 

だから、こうやって、何個も記事書いて、続いているというのは僕の人生史上、初、なのだ。

 

高校生の時もBlogをやっていたが、そのときはとにかく実りのない面白いことを書こうとして、なかなか文章が進まなかったし、さらに、携帯電話のポチポチ押す形式で書いていたのでとにかく各スピードが遅かった。

 

 

 

 

今はもはや、他人の目を全く気にしていない。

 

というか、気にする必要が出てきたときに、気にしよう、そう思っている。

 

 

 

じゃないと、僕の性格の場合、続かない。

 

続かないと、意味がない。

 

 

 

だから、これからも、自分の思ったことを、他の人の目は気にせず、書いていきます。

 

もちろん、気にする必要がでてきたり、消さないといけない記事が出てきたときは、すぐに対処はするつもりだけど。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

 

さらに、言葉に出すということについて、思ったことがある。

 

それは、例えばこのネット上の発言だけに関してだけではないということだ。

 

 

実際の生活の中で、他人と関わるとき、

 

例えば、友達と話すとき、上の先生と話すとき、子供と話すとき、いろんな場面で自分の口から言葉がでるが、僕は時々自分の言葉が出ないときがあった。

 

 

それは、大体偉い先生とか、好きな子の前とか、そういった緊張する場所のことで、本当に23歳くらいまでは、「自分の言葉がでない」状態になることがしばしばあった。

 

 

 

もちろん、何も言葉を発しないことで得することもあるし、何なら「口は災いの元」というから、あまりしゃべらない方がよいのだ、という考えもあるだろう。

 

 

 

 

でも、実際、僕は自分が言葉に詰まったり、何も発言しないことの方が、実生活で損をする、というより、発言した方が上の先生に可愛がってもらえることに気が付いたのだ。

 

 

例え、偉い先生の前でも、自分の思ったことを発言する方が、得をする。

 

これが、僕が最近思っていることである。

 

 

 

 

 

まず、何より自分から言葉を出さないと、「何を考えているかわからない」ということだ。

 

 

 

そうすると、容姿が極端に綺麗であったり、そもそも最初から相手が自分に興味を持っていない限り、「相手に伝わることが少ない」のだから、相手が自分に興味を持ってくれる可能性は極端に下がる。

 

 

 

だから、なるべく自分でしゃべるようにしたほうが、上の先生に可愛がってもらえる。

 

 

これが、僕の出した結論だ。

 

 

 

あれ、自分で言葉に出すということ全般について書こうと思ったのに、「上の先生との関係の中で」限定になってしまった。

 

 

まぁ、それにかかわらず、恋愛でもそうだと思う。

 

 

 

よく言われている、結婚した夫婦が50代、60代になって、熟年離婚する、みたいになるのは、毎日顔を合わせて「話すことがなくなるからだ」と思う。

 

要するに、言葉を出す、ということ自体が少なくなるからだ。

 

 

そうすると、「相手の考えていることがわからない」

特にそれくらいの年齢になると、容姿がきれいだとときめくことも少なくなるだろうし、相手に興味を持とうという気持ちがわいてくることもなくなるだろうから、コミュニケーションが少なくなる。

 

そうすると、だんだんと「自分の気分を阻害するもの」ばかりに目が行くようになり、喧嘩をする。

 

 

 

 

20代30代でも、別れる理由にはいろんな理由があると思うが、一番は「言葉に出す」という行為そのものが、少なくなること、が原因なのだと思う。

 

 

 

 

 

コミュニケーションが大事だ。とよく言われるが、じゃぁ、具体的にコミュニケーションってなんだ?と考えたことは今まであまりなかった。

 

 

本を読んだりして、学ぶことはあったが、自分で考えることがなかったように思う。

 

 

大体、本には、ノンバーバルコミュニケーションが大事、表情が~~とか、仕草が~~~とか書いてあって、確かに、それは正しいとは思う。

 

 

けど、コミュニケーションにおいて、何よりも大事なのは、「言葉に出す」ということ。これに尽きると思う。

 

 

何でもいいから、しゃべってみる、言葉に出してみる、自分で考えたこと、自分が思ったこと、話す内容が思い浮かばなかったら、そこで初めて本とかに書いてある、天気のこととか、ニュースの話とか、テクニック的なものが出てくるのであって、自然なコミュニケーションは、「とにかく何かしゃべってみよう」と思って、「自分で」「考えて」「言葉に出す」ことから始まるんだな、と最近思いました!!!!!!!

なぜだろう。

 

人は、「手が届かないからこそ湧く欲」というものがあるらしい。

 

これは僕だけじゃないはずだ。

 

さらに思う、「自慢する」時の心理状態はどういう状態なのか。

 

 

自分の場合 ~大学受験~

 

高校生の時、「この大学に入ったらかっこいいだろうなぁ~!」という憧れていた大学があった。

 

その頃も、Blogをやっていたから、「この大学に入ったら絶対自慢するぞ~!動画作っちゃうぞ~!」と意気込んでいた。

 

でも、結局違う大学を受け、そこも落ちてしまい、一浪した。

 

一年は長い。

 

とてつもなく長かった。

 

でも、気づけば自分が高校生の時にあれだけ切望していた大学に入っていた。

 

しかし、あれだけ切望していた大学に入ったが、自分の成績ならもっと上を行けたかもしれない、とか、もっと努力できたかもしれない、とかいう後悔もあったので、「やっと辛い浪人が終わった」くらいの感想しかなく、「達成感<安心感」が自分の実感だった気がする。

 

 

そして、高校生の時に「合格したら自慢するぞ~!」みたいな欲は、全くなくなってしまっていた。自分の切望した大学に入っていたのにも関わらず、だ。

 

しかも、周りは皆自分と同じ学歴なのに、自分の知らない世界の人に向けて、自分の学歴を自慢するのが恥ずかしいような気もした。それは、今も変わらない。

 

 

 

自分の場合 ~車~

 
僕は、大学に入ってからも、車には特に興味がなかった。
 
しかし、確か、2年生くらいの時、お父さんが「車要るか?」とメールをくれた。
 
「うおおお!!車か!!やった~!!」
 
もはや、僕はプレゼントを貰う小学生みたいに単純に喜び、インターネットで車という車を調べまくった。
 
調べまくったおかげで、車についてはだいぶ詳しくなり、Audiの最新型かどうかまでもヘッドライトの切れ込みが右上がりか左上がりかで、見分けがつくほどにまでは、目が肥えた。
 
それくらい調べまくった。
 
車種はもちろん、その車のスペックなどについても詳しくなった。

 

 

 

結局、3年生の時に、お父さんはあまり車を使っていない、ということで、お父さんの車「Nissan FUGA 350XV」を乗らせてもらうことになった。

 

あ、こっちは新しいやつなので、僕が乗っていたのはこっち↓

 

 

 

で、自分では何の努力もしていないのに、「なんだが自信が湧く」という心理状態を経験し、「あぁ、人が高いブランドを買ったり高い車乗ったりするのはこういう気持ちになるからなのかな」と思ったりもした。

 

なんの根拠もないし自分は何も努力してないけど、高いものを持っていたり、身に着けていたりするだけで、自信がわいてくる時があるんだな、っっていうのを初めて実感した。

 

 

 

しかし、これは「自分の力ではない」

 

「本来なら学生の自分が手に届かないからこそ湧く欲」が、実現したから嬉しいのかな。そんな風にも思った。

 

例えばこれが、「余裕で買えるもの」だとしたら、おそらくそんなに嬉しくないんじゃないか。そう思ってしまったのだ。

 

 

 

 

そして、まさかの大学5年生の時、「新車でハリアーを買ってもらった」のだ。しかもハイブリッド。

 

これだ↓

 

 

しかも、内装は革。BOSEの最新音響システムを搭載し、価格は税込みで確か499万円だった。

 

500万である。

 

 

 

 

500万!!!!!

 

今考えると、

 

 

 

 

親父凄え・・・

 

 

このことについては後日、別な記事を書くとするが、僕の尊敬する人物の一人は「お父さん」である。いつか、熱弁したい。

 

そして、自分でも今気づいたのだが、

 

「自慢している」

 

これは、一体どういうことか。

 

自慢する=自分の実力以上のものが手に入った

 

ということなんではないか。そう思うのである。

 

実際、僕の場合これだけ、このネットという自分の知っている人のいない世界で自慢しているということは、「自分では手に入るはずのないもの」が「運よく」「手に入った」からこそ、自慢しているのだと思う。

 

 

 

 

これがもし、孫社長や、そこまでいかないとしても、年収1億円ある人だとしたら決してこんなちんけな自慢はしないだろう。

 

 

 

でも、自分は自慢している。つまり、自慢するということは、自分がそれを手に入れるだけの器になり切れていない、ということなのだと思う。

 

 

 

 

自分の場合 ~彼女~

 
彼女についても、同様である。
 
例えば、自分が「ナンパで」「めちゃくちゃ可愛い子」と付き合ったとする。
 
そうすると、自分の周りに自慢したくなる。
 
それは、「自分が本来なら付き合えなかったかもしれない」=「手が届かないからこそ湧く欲」がある女の子と付き合ったからだ。
 
 
だが、すべての人が自分の彼女を自慢したいか、と聞かれるとそうではない。
 
例えば、彼女がブスだった場合。さらには、職場でいつも一緒に働いている人で、お互いが惹かれあって付き合った場合。
 
そんな場合は、あまり周りにばれないようにするのではないか。
 
この場合、「彼女」=「自分が手が届かなくはない」ものであり、強烈な手に入れたい欲があったわけでもないので、自慢するようなことはしないはずだ。
 
 
彼女をもので例えたことでいろんな非難を浴びるかもしれないが、実際に、アクセサリーとして彼女・彼氏を連れて歩くという話は皆も聞いたことがあるとおもう。
 
その心理状態は、きっと
 
「手が届かなさそうなものが手に入ったぞ」
 
という心理状態のような気がするし、さらに言えば、自慢する人は、そのものを手に入れるのに必死だった、それを手に入れるために必要な実力が自分の器以上の人、なのだと思う。
 
 
 
だから、こそ湧く、切望、欲望、憧れ。
 
 
 
憧れているものを手に入れるためには、欲というものは必ず必要なのかもしれないが、いざ手に入れるとき、自分の実力がそれらを手に入れるのに必要な実力以上になっていると、人はあまり欲を感じなくなるのではないか、そして手に入ったとしても、自慢はしないのではないか、そう思うのである。
 
 
 

 

Facebookで、キングコングの西野さんのてきとーなブログの投稿をみた。

 

「人生は20代で決まるから25歳で決断しろ」by.キンコン西野

 

20代後半を熱狂しろ。

 

そう、書いてあった。

 

でも、僕は最近本当にこう思う。

 

「研修医の仕事って、中途半端だし、熱狂なんてできてない。」

 

全国で、この仕事に熱狂してる人はいるのだろうか。

 

いるだろう。確かに、いるとは思う。

 

でも、

 

でもだ。

 

大半の人は、この新しい、いろいろな科を回るこのシステムのせいで、熱狂なんてできていないんじゃないか、少なくとも、自分の希望する科と関係ない科を回っている時なんて、とくにそうなんじゃないか、と思う。

 

日々思うのが、その時に回っている科のその時は面白いし、知らないことが多くて、勉強になるけど、「でもこれ、将来的に役立つのかな」って、まさに中学生・高校生が受験勉強に対して思うようなことばかり心に沸いてきて、全然モチベーションが保てない、ということだ。

 

 

全国の研修医に問う。

 

 

 

君は熱狂しているか?

 

僕は・・・僕は・・・熱狂したい、したいが、できない。

 

もしかしたら、僕のこの超ヒマな研修生活のせいかもしれない。でも、「この仕事くそつまんないな・・・・・・よく、皆きちんとやってるよな・・・・・・」って思うときも、結構ある。

 

いや、こんなこと、医師免許を持っている自分は言ってはいけないのかもしれないが、確かに、治る疾患の場合、良くなる疾患の場合はモチベーションはある程度、保たれる。

 

でも、治療してもどうしてもよくならない、治療のしがいがない、そういった患者さんを受け持った時、どうしてみんな、ああまで頑張れるのか、僕はあまり理解できない。

 

仕事、と割り切れば、簡単なことかもしれない。

 

単純作業だ、作業そのものに熱中しろ、といわれれば、根が真面目な僕はそうできるかもしれない。

 

 

けど、僕は、僕は・・・・・・

 

 

 

 

 

 

って、メンヘラな部分が出てしまった。

 

熱狂したいな。

何かに熱狂したい。

 

人は、仕事に熱狂しろ、いうし、僕もそうしたい。

 

でも、本当に興味がわいて、自分から調べたりしたいって思う様な分野は最近気づいたけど、心理学とか、メンタル系のこととか、感動させる技術とか、映画とか、そういった心の方面な気がするんだよな・・・・・・。

 

 

でも、精神科はなんか違うんだよな。研修医の間は回ってないけど。

 

あ~~~~~~~~

 

来年から、大丈夫かな俺。

 

後期研修3年目って一番雑用多いし、仕事内容くそつまんなさそうだけど、耐えられるかな・・・・・・

 

給料も大学病院だから低いし、モチベーション保てるのかな。

 

せめて、場所だけは東京だからいいけど、地方に飛ばされたら終わるな・・・・・・

 

 

 

とかとかとかとか、ほんともうなんか、今から心配しても意味ないことを気にし始めちゃってる俺、結構ヤヴァイと思う。

 

とりあえず、専門医取って、そっからは大富豪に向けてっていう計画は胸に秘めつつ・・・今からでもできることといえば、知名度を上げていくことだけど、どうやったら知名度上がるかな。

 

とりあえず、自分から何かを発信したりしないとな。

 

っていうことで、このブログとか、SNS始めたんだけど、アクセス数とかいまいちだけど、ま、、、、、、まだいっか!(笑)

 

はい、ということでね、はま寿司の話なんですけども!

 

はま寿司最高!遺影!v( ̄Д ̄)v イエイ

 

っつってね、思うこの頃なんですけども。

 

/

遺影ってなんだ、不謹慎じゃないのか!

\

 

 

・・・・・・。

 

 

いやぁね、もうそろそろこの栃木生活も終わりを迎えるということで、この毎日Youtube見たり、ブログ書いたり、そういったネット活動・・・・・・

 

 

/

仕事しろ!

\

 

 

はい。そうなんですけどもね、そうは言われましても、患者さんが来なければ仕事がないのでね・・・・

 

 

/

お前研修医やろ、やることいくらでもあ・・・

\

 

せいっ!!!!!!

 

 

 

 

はい、ってことでね。

 

 

 

 

なんかの動画で見たんですよね、はま寿司の社長が、どうやって価格を安くお寿司提供できるようにしたかっていうね、動画をね。

 

ホントはここに動画貼りたいんだけれども、もういろいろ検索しても見つからなくてね。

 

深イイ話だったきがするんだけれどもね。

 

 

 

確か、はま寿司と漁師さんで船ごと1年契約してるみたいな話だったんですけどもね。

 

 

それでね、まさかのね、はま寿司がね

 

栃木にもあった。

 

そうなんですよね、栃木県にもはま寿司あったんですよ。

 

っていうかね、

 

 

 

 

店舗数多くね?www

むしろ、はま寿司を今まで知らなかったことの方が珍しいのか!?(笑)

 

 

 

 

 

っていうことでね、はま寿司のどこが良いのか、ということをね、お伝えしたいんですけどもね。

 

 

まずね、

 

比較対象がかっぱ寿司しかない。

っていうことをね、年頭においていただきたいんですけどもね。

あ、安い店っていうことではっていう意味ですけどもね。

 

ちなみに、リーズナブルな本当に結構好きな寿司屋さんは、チェーンだと、

 

うまい鮨勘

 

なんですけどもね。

 

それはさておき、はま寿司の良いところはね、

 

価格の安さと、お寿司の美味しさのバランスが絶妙。

 

この一点につきますね。

 

っていうかね、

 

寿司なのに、安すぎで、安いのに、まぁまぁ美味しい。

っていうね。

 

まぁ、ちゃんとした寿司を食べていて、舌が肥えている人にとっては、寿司じゃないよこんなの。って思うと思うんですけども。

 

2000円で、腹いっぱい食えちゃうからね。寿司なのに。

 

それよね、もうね、

 

それだけなんだけどね、いいところwww

 

でもね、ほんと、お勧めです。

 

一番いいのは、好きなだけ食っていいよ~!!!!って先輩におごってもらう寿司なんだけどね、そういうときも、どうしても気を遣うじゃん?

 

で、カウンターの超高級な寿司屋さんとかでも、いつも行ってるとかじゃないと緊張するし、その点、はま寿司は、画面タッチで頼めるし、来るのめちゃめちゃ速いし、最高だよね!!!!!

 

 

 

今日はこんな感じでいいかな!?

 

/

誰だよそのおばさん!

関係ないだろ!

不謹慎だったり、適当だったり、ネットを馬鹿にしてんn・・・

\

 

 

せいっ!

 

 

 

 

完

 

さぁやってまいりました、Dr.Tの、こわいはなし。

 

ということでね、いつもと違うテンションでお送りしたいんですけどもね。

 

そうなんですよ。怖い話、聞いちゃったんですよ。

 

 

 

あ~なんだかな~怖い話とかあんまり頭の中に入れない方がいいと思うんだけど、こういう話あんまり実際に知り合いから聞いたことないしな~誰かに言いたい、言いたいけど、言いたいけど、

 

言う人がいない(栃木に友達おらんからwww)

 

ということでね、本当は文章とかにも残しちゃうとよくないかな~とかも思ったんだけどね、書いちゃいま~す!

 

 

 

その1

階段の下の女の子

 

これはね、救急外来の看護師さんから聞いた話なんですけどもね、ええ。

その看護師さんはね、祖父が「イタコ」だったらしいんですよ。

Wikipedia:イタコ -Wikipedia-

 

でね、イタコってあれでしょ、霊を呼び寄せて、生きている人と死んじゃった人の仲介をするっていう。だからね、その看護師さんも小さいころから、おじいさんが修行といって、冷たい水を裸でかぶっていたり、朝寒風摩擦していたり、そういった姿を見ていたので、なんでしょうね、ええ、そうなんです、ああ、そういう世界(霊界)もあるんだな、というのは幼い心ながらも、思っていたそうなんですよ、ええ。

 

 

でね、その看護師さん曰く、自分の家の階段の下にね、

 

「何かいる」

という感覚があったらしいんですよね。

 

でね、どうやらそれは

 

女の子の子供らしい

のだと。

 

その理由はいくつかあるんですけどもね。

 

まずね、1階のところに、い草が敷き詰められていたそうなんですよ。

でね、い草って、その上を歩いたらカサカサって音がするでしょう?

 

それでね、2階で寝ていたそうなんですけどもね、

結構な頻度で、寝ている時に、つまり、下に誰もいないはずの時に、

 

明らかに1階のい草の上を誰かが走りまわっている音がする

らしいんですよ。

 

小さい時からね、その音は聞こえていたらしいんですね。

でね、兄弟がいるらしいんですけどね、妹がある日、小さい女の子がベッドの隙間から見ていたって言ってきたらしいんですね。

 

それでね、「あ、もしかして、あの1階で誰かが走っている音は、その女の子なのかな」って思い始めたそうなんですね。

 

でね、そのい草のあるところにね、小さな木馬もあったらしいんですよね。

 

 

でね、夜寝ているときに、

 

明らかに、誰かが乗っている、体重がかかってこの木馬が動いている音がする

 

ようになって、確信したらしいです。

 

しかも・・・

 

或る夜、あまりにも、ぎこぎこうるさいから

 

「うるさい!」

 

って怒鳴っちゃったらしいんですよね、そしたら、さっきまでぎこぎこしていた木馬から、かさかさ・・・という音がして、人が降りた・・・

 

 

らしいんです。

 

でね、もう、階段の下に子供の女の子がいることは、確信したらしくて、それから、あんまり階段を上るときに下の方を見ないようにしていたらしいんですよね。

 

でも、従兄が遊びに来た時にその従兄が見ちゃったらしいです。

「階段上るときに下の方は見ない方がいいよ」

 

ってアドバイス(小さいから言ってしまったんですね)したところ、

 

がっつり目が合ったらしい。

 

いや~~~~~~

 

これがね、テレビとか、そういうのでやってたら

全然怖くないですよ?

でもね、実際その看護師さんが体験した話だったから信ぴょう性が高まるじゃないですか!?

 

怖いですよ!!!!!

鳥肌ですよ!!!!!

 

っていうことでね、この話を誰かにしたかったので、書いちゃいました~~~~!!!!(笑)

 

 

でも、まぁ、何か事件があったとか、呪われたとかそういうのじゃないからいいよね。

 

ん~~~

 

 

みなさんは、こういう霊界とか、幽霊とか信じますか?

 

 

僕はね、ちなみに、死んだら何もなくなると思ってますよええ。

 

確かにね、この世の中に「水とか時間のような流れ」みたいなものは存在する(例えば運気とかそういうの)と思うんですけど、だから、縁起が良いとか、悪いとか、運がいい、悪いとか、そういうのはあると思うんですけど、さすがに霊はいないだろうと。

 

そう思ってます。

 

だってね、今まで生きてきた生物のすべての霊が死んだ後にもこの世の中に存在していたら、この地球上満員ですよ!!!

満員!!!!

 

しかも、人類は増えているわけだから、その魂はどこから来たの?ってこういう話になるわけです。

 

 

だから、

 

運気はあるけど、霊はいない

 

そう思ってます。

 

あ、ちなみに、この「魂はどこから来たの?」説は、僕の大好きな、「Before Sunrise」の会話に出てくる、ジェシーのセリフです。

 

 

 

 

この映画は、めっちゃいい。めっちゃいい。

またいつか記事書くかもしれないです!

 

最近読んで衝撃を受けました。

 

バカの壁

 

 

この本は僕のバイブルとなりました。

 

というのも、10月に小児科を回っていた時の記事、

ふろむだ、さんの『人生は運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』を読んで

 

でも書いたんですけど、小児科を回っているとき、

生きる意味について考えた

んですよね。

 

で、僕なりに、出した結論が、

例えば、遺伝子異常で生まれた重症身体障害を持っている子が生きている意味って、その子が生きていることで周りの家族や、その子に関わる人達がいろんなことを感じたり、考えたり、希望や絶望や、そういった感情の渦を巻き起こすこと「その動きを起こすこと」それ自体が、その子の生きている意味なんじゃないかなって、そう思った、それが結論だったんですよ。

 

で、何気なく、Book offに立ち寄ったときに目に入った

 

「バカの壁」

 

読んでみたいな、と昔に思った記憶があったんですけど、読んでいなかった。

 

で、読んでみてびっくりしました。

 

 

 

「その人が運命を知ったうえで取る態度によって、周囲の他人が力づけられる」という意味

 

これは、生きている人が自由に動くことのできる、もしくは何かしらの選択をできるということが前提ですが、

 

「生きる意味を自分以外の他者との関係性の中に見出している点で、僕の考えと似ている」

 

そう感じました。あ、でもこれはあくまで引用で使われているだけなんですけどね。アウシュビッツの強制収容所に収容されていた心理学者V.E.フランクルが書いた『夜と霧』に書いてあったというところなんですけど。

 

 

 

 

また、これだけではありません。

 

 

「確実なものなどない」

 

しかし、だからといって何一つ信じられないわけではなく、「もう何も信じられないじゃないか」となる必要はなく、真理はないが、予測はあるのだ。

 

みたいな、僕がまさに最近思い悩んでいたことの答えがそこにはありました。

 

やはり、養老孟司先生、めっちゃ頭いいっすねww

 

 

 

 

こうやって、自分で悩んでいたことが自分だけで悩んでいてもわからなくて、たまたま読んだ本で、パっ!って「なるほど!そういう考えもあるのか!」ってわかることに、読書の意味があると思います。

 

 

 

養老孟司先生の本には、「知るということ」は「自分が変わるということ」というようなこともおっしゃっています。

 

一番わかりやすいたとえ話が、

 

「自分ががんの告知を受けてから見る桜は違ってみえるだろう?それが知るということだ」

 

 

 

 

という例え。

 

なるほど・・・深い。

 

「自分は変わらない」というのではない。

常に変わり続けている。

 

昔の人はそんなこと分かりきっていたのに、今の人たちは情報が溢れすぎているから何でも知っている風に思っているし、自分は不変だって思っている。

 

でも、実際には変わっていくのは自分だし、知るということ自体が、自分が変わるということだ・・・・・・

 

 

 

うおぉ・・・すげぇ・・・

 

 

 

バカの壁、これだけじゃありません。

 

まだまだ、めからうろこな教え?(っていうか、考え方)がたくさんでてきました。

 

僕のバイブルです(いまのところ)(笑)

 

本当に、お勧めです。

 

 

 

 

 

 

まずはこれ見てください。

 

レペゼン地球!いや~~~すごいっす。テンション上がるし、これだけ人集めて、Youtuberの人気の人たちの出演もあって。

 

低俗だからっていう理由で嫌いな人もいるだろうけど、僕はかなり好きです。

 

人って、そんな完璧じゃないじゃないですか。

でも、本当は誰でも、心のどこかで「綺麗に生きる」ことが理想だと思っているし(深層心理でね、わからんけど俺はそう思う)、

だから、現実と理想のギャップに差があればあるほど「何かしら抑圧されているストレスのようなもの」(要はストレス)を抱えて生きているんだと思う。それで、何とか自分の理想に近づけらるように生きていくことが一番楽しく生きられるだろうし、今の現実ややっていることが自分の理想とかけ離れていればいるほど、生きていることや仕事などがむなしくなってくる(んだと思ってる)。要はモチベーションを保ちながら生きるためには、理想に近づくような生き方をしていないと難しいということ。さらに言えば、ていうか本当の心は、栃木つまんなすぎて今俺「こんなんでいいのか俺」って思っちゃってるからストレスMAXだってこと。

 

 

でも、このレペゼン地球のライブの映像とか見ると、「あ、これでいいんだ」「こんな低俗でもいいんだ」「ひゃっほーい、どうにでもなれ!」「酒だ女だギャンブルだ!」「好きなことだけしていくぜ!」「学歴とか、経歴とかそんなん関係ねぇ!やりたいことやろうぜ!」「ちんこちんこちんこ!!まんこ!!」

 

って思って、その抑圧から解放させてくれるから好きなんです。

そう思えるような、人を魅了させるような演出とか、いろいろ考えられているからこそレペゼン地球は人気があるんだろうけど。

あと、実際に本人たちが「楽しんでやっている」というのが一番の魅力なんだろうけど!

 

 

 

 

あ、それで今思い出したんだけど、例のあのふろむださんの書いた本に

・低賃金でくそつまらない作業をさせたグループ

・高いお金をはらってくそつまらない作業をさせたグループ

の二つのグループに「作業は面白かったか?」と質問したところ、まさかの低賃金でさせたグループの方が、「楽しかった」と答える率が高かったという実験があって、それはなぜかというと、低賃金でつまらない仕事をしていると、作業をしていることの「意味」をみいだせなくなるから、脳が無理やりつまらない作業を「面白いからやっている」というように解釈させてしまうから、というようなことが書いてあったのを思い出しました。

 

だから、結局何が言いたいのかというと、僕は疑問なんですよね。

世の中にこんなにたくさんの人がいるのに、「本当にやりたいこと」をやっている人なんて、たぶん本当に本当に本当にごく少数だと思うのに、今。世の中で「好きなことをして生きていく」とかふざけた煽りが流行っているのは、「好きなこと(だと思っているけど、本当は好きだと自分で自分を納得させている)ことをして生きていく(ことが運よくできてしまった人達)」を羨ましがっているだけ、なんじゃないかなって。

だって、究極に好きなこと「だけ」をしていくことなんかできるはずもなく、「Youtuber」だって「視聴者」の反応を考えないといけないし、自分勝手に生きることなんか「究極」ではできないと思うから。

 

だから、レペゼン地球のメンバーたちだって、「究極にやりたいことだけ」で生きているわけなくて、「人気がでるためにはどうしたらいいか」っていう、根本的なことをおさえつつ、おそらく、「自分達がやっていることは意味があるはずだ」「面白いはずだ」「好きなことのはずだ」って納得させながらやっていると思うんですよね。

 

自分で、自分のことを納得させている。

 

そうしないと、生きるのが辛いから。

 

自分でも気づかないうちに、自分のことを欺いている。

 

っていうのが、ふろむださんの言いたいことで、僕もそう言いたくて、だから、どんな人も本当に好きなことだけでは生きていないんじゃないかなって思うんです。

 

 

 

って、勝手に金持ちYoutuberに嫉妬している自分をこうやって納得させているだけなんですけど。

 

 

 

だって、Youtuberとして有名になって、あれだけ稼いでいたら楽しそうじゃん?ラファエルとかひかるとか。(笑)

 

だから、「どうせあいつらだって、好きなことだけでは、生きてないって、苦労してんだって」って自分を納得させたほうが楽じゃない?(笑)

↑完全にブーメランww

 

 

で、ひねくれものの僕は考えたわけですよ。

例えばYoutuberが学歴とか、地位、名誉とか欲しくなったりしたら、それはお金では買えないじゃん?

レペゼン地球だって、ラファエルだって、ひかるだって、今は有名になって稼いで生きていけるけど、もし学歴とか欲しくなっても無理じゃん、どっちもかなえるの無理じゃん・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って言ってたら、学歴も最強で経歴も最強で今すごい金持ち(推測年収2億)で、さらに俺がなりたいYoutuberになってる人イターーーーーーーーー・・・・・・っていうかなんで気づかんかってんやろ。っていうのが、穂積先生でした(笑)

 

 

 

いや、もう、レベルが違うよね。

「レベルの高い人の集まりの中(理三)にいたら、話とかしていても楽しくて、だから、もっと上のレベルの人がいるところに行ったら楽しいかなって思っちゃったんですよね。」

それでマッキンゼーに行くっていうwww

 

 

本当にやりたいことだけで生きている人は、すぐ近くにいた。(実際には近くではないけどww)