彼女の兄は6環のずっと外側で小さなHOTELを経営しているとのことで、彼女もたまにそこの服務員をしていました。 カラオケをやめてお兄さんの所で働きたいと言っていましたが、きっと本当だったのでしょう。 北京へはタクシーで2時間往復で数百元かかるらしく、服務員の給料を考えるとタクシー使って2つの仕事をすることはわりに会いません。 また両親はハルピンに住んでおり、その当時母親は脳梗塞の持病を抱えて、近々北京で検査をするといっていました。


 以上が家族の状況でしたが、母親の脳梗塞というのが一番の問題です。もし老公ならば治療費の全額負担は当然という理論が展開することは火を見るより明らかです。 出会ってから一か月そこそこでは、残念ながらそこまでの覚悟はできてません。 なんといっても心の中では「母親の脳梗塞」は本当なのか?金を無心するための口実では。という疑念を持っていました。 その様な心を見透かすように、今度母親が北京に来た時に会ってみないか?と言われました。 当時は家族と会うまでの勇気は持ち合わせてなかったので結局会わずじまいでしたが、「母親の脳梗塞」はきっと本当だったのでしょう。


 しばらくすると母親に会うためにハルビンに行くという話がでて、いくらかかるとかお金の会話があったように記憶しています。言葉がわからなかったのと、昔のことで記憶があいまいで、いくら渡したか記憶がありませんが、かなり小額であったと思います。


  二週間くらい故郷にいて帰ってきた彼女は、ちょっと前に買ってあげた指輪を無くしていました。 いろいろ聞くと、帰郷でお金がなくなって売っぱらってしまったとのこと。。。  北京妻の しるし である指輪を売ってしまうとは何事か? と問い詰めましたが、なにせ言葉がわからないので言い訳も理解できないままです。


 彼女は、北京妻とjか、老公となの言葉を使って、もちろんH関係も(商売柄当然のように)ありましたが、実質的には双方の心中は恋人までに至っていませんでしたので、その場で関係を清算することを決めました。


 言葉がわからない私が、どのように別れをするかは、次回です。

彼女の友達一緒に会場についたのは開演の15分前くらいで、お客さんはまだ誰も来ていませんでした。

私は彼女の彼を一年前に一度きり見かけただけでほとんど覚えていませんでした。たぶん彼のほうも同じであると思います。 パーティーは彼仕事関係ののお客様が主体で、彼女の客は私を含めて数人です。


 ぽつぽつとお客が集まりお互いの紹介が始まりました。

 彼が、彼の先輩格のお客様に私のことを、XX(私の名前)です。と紹介すると、

 いきなり、「どんな御関係ですか?」攻撃が彼に浴びせられました。 

 

 おお、想定していたものの、いきなり来るか~ と思いながら、立ち往生の彼をみていました。

 しばしの沈黙に耐えていると、彼女が「私の友達です」との助け舟。

 ああ、こんあ若い子から友達と言われるととっても嬉しい。ニコニコ年齢ダブルスコアだし~ 

でも、この娘と好朋友なのは、やっぱり変だ。。日本人にはきっと理解できない。(中国人ならOKのよう) 

 説明できない彼が、日本人としては正常だと思います。



 翌日は彼女が日本へフライトしますので、彼女の兄弟にとっては一緒にいられるとても貴重な時間でした。

兄弟たちが涙を拭いながら別れの言葉を述べる姿をみたら、私の感情も一線を越えてしまいました。 これも予想していた通りなのですが、彼女と彼女の兄弟が下をうつむきながら、斜め上の天井を見ながら涙をこらえている姿をみたら、どうしようもありませんでした。 高額な日本旅行を、兄弟たちは簡単にはできないことが分かっていますので、大げさにいえば今生の別れになるかもしれないことを想像したらなおさらでした。

 いい大人が恥ずかしいですが、しかたありません。


私も日本に帰ったら、彼女に会おうと思えば会えると思いますが、人妻なのでもう合わないでしょう。

私にとっては、本当に最後の日になりました。

お幸せに。




 

 

北京に来て初めて恋人契約しようとした娘の話です。

今は無き華都飯店の舞姫というスケベ日式カラオケの娘でハルピン出身ですらっと背の高いかわいい娘でした。

初めてのスケベカラオケで、中国語ほとんど勉強してなかった私は言葉は全く通じませんでしたが、すぐに意気投合しました。 この娘が恋人なら楽しそうだなと感じました。


 当時、中国語で一時間という単語も分らなかったのですが、電子辞書と筆談でコミュニケーションをとっていました。彼女はいつも他の二人の友達と一緒で、そのうち一人が英語ができるので、よく4人でご飯を食べにいっていました。 彼女と最初は華都飯店に部屋を取って会っていましたが、そのうちに隣の如家快捷酒店が安いのでそちらでよくあっていました。 いつも他の二人も部屋にやってきて、3人で同じベッドで休んだりしました。 ちろんそれ以上のこと(4Pなど)はするはずもなく、彼女のお客(もしかしたら恋人)としての対応をしてくれていました。 当時4人での、そのような奇妙な関係が面白くてたまりませんでした。 もちろん、スケベ店でしたので私以外の客(または恋人)がいる可能性が高いことは分かっていましたし、また多くの娘が客からどれだけ多くのお金を巻き上げようとしているかの情報も知っていました。ただ、彼女がそのような娘に該当するのかわからなかったので、進行状況をみながら関係を深めていこうと思いました。


 当時、もうすぐ日本から家族がやってこようかというタイミングでしたが、彼女らの最も気にしている「家族は北京にいるのか?」との質問にはNoと答えました。 それでは、私が北京の妻になってあげるということで、私のことを老公と呼んでいました。 今では、いきなり老公と呼ばれることはありえないと思いますが、当時は老公のニュアンスが全くわかりませんでしたので、そのようなものかと思っていました。


 彼女らの生態?については事前情報があり、虎穴に入らずんば虎児を得ずと思っていたので、本当のことを知るためには、ある程度の投資はやむを得ずと考え彼女の要求に従ってみようと思っていました。 最初の要求は、まずは指輪でした。 確かに北京妻なら指輪くらい当然だろうと考え買ってあげることにしました。 燕莎友谊商场で買うことにしましたが当然二人の友達も(通訳のため)一緒についてきて、あれやこれや悩んだあげく純金の指輪を書くことになりました。たしか三千元した記憶があります。

 

 何週間かして、さらにネックレスの要求が出ました。私の初期投資金額のリミットがそのあたりにあったということと、確かに北京妻なら仕方ないという考えがあったので買ってあげることにしました。 ただし、これまで収集している情報と同じストーリーになりつつなったので、次の要求内容によっては手じまいを考えようと思いましたがまずはここまでは出すと決めました。 ここまでの金額総計は十数万円ですが、日本でこのような駆け引きありの愛人契約遊びをしようと思ったらこの金額ではとてもできません。 


 さらに次の要求についてのは、回をあらためまして。。