私の不思議体験は、小学6年生
と5、6年前の出来事です。
ふるさと広島では、夏休み中、
1日だけ登校し、
そして、生徒会委員は千羽鶴を
学校代表として、
いっていました
6年生の時、
のですが、
いきました。
その際、
後日写真を確認したところ、
いた大きな木の枝の上に、
座りをして遠くを見ているような少年
のような影が写って
それを見たとき、特に怖いという感情
はなく、「
写ってくれたのかな」と感じました。
それから月日は流れましたが、
大人になってからも、
日には、
していました。
夏になると、
原爆関連の特集がされていますが、
あふれてきました。
5~6年ほど前の夏だったと思います。
特集がしていました。
嗚咽するほど涙が出たのですが、
時だけはいつもと違っていて、私の口から
「ぼくは、
いう言葉が出てきて、
この時も、
今となってはあの「ぼく」
不思議に思うだけです。
まずね
あなたが小学生の時に映した写真が
ないのでね。
はっきりと確認のしようがないのです。
わたしに出来る事は
あなたの脳裏に残っている記憶の写真
を辿って視ることしか出来ないのでね。
体育座りをしていたようにみえたのは
男の子ではなくてただの陰です。
もっとはっきりと人の姿が、子どもの
姿が映っているのかと思ったのですが
これは、フレアという現象の陰です。
平和記念と重なったので、そう思って
みたことで、坊主頭の男の子に
視えたのでしょうね
ですから5,6年前の「僕」という出来事
と写真はまったく別です。
わたしたちは、終戦後に生まれて
きました。
ですから、中には当時の戦争の記憶を
紡いて生まれて来ている人も中には
いるかもしれません。
戦時中の映像というのは、広島や
長崎の原爆や、そして沖縄戦のことを
その映像をわたしたちは学校でも
見せられてきましたのでね。
みんな少なからず、何かしら思い入れが
あり、悲しくなったり胸が切なくて、苦しく
なったり致します。
特に脳裏を使うことが得意は人は
まるで、そこに自分が居たかのように
自分の経験のように錯覚を致します。
あなたもテレビをみていて、ご自分の
中の記憶の言葉が出てきたのかもしれ
ませんね。
わたしたちは、誰かの記憶や感情や
言葉をつい無意識に拾ったりします。
でもね。
「怖い」 とか 「怖くない」 ということ
ではなくてね。
全てを霊的なことに結び付けて考え
なくてもいいんですよ
わたしも宮古島や沖縄にいくと
きれいな海とは裏腹に、とても
寂しく悲しくなります。
上手く言葉で表現できないのです
けれどね。
わたしたちの感情には時間の
区切りがないのでね。
感情はいつでも、いろんな人の
記憶と 土地の記憶と連動しあい
そして振動しているのです
まさよさん、この度は318のご回答を
いただきましてありがとう
嬉しくてワナワナしています
ワークを楽しく参加している中で
起こった凄いことにただただ驚き
叔母が目を覚ましてくれて家族が
安心できたことに感謝の気持ち
一杯です
父はまさよさんの仰ってくださった通り
穏やかで物静か
いました
「俺が先に逝っても、お前は大丈夫だな」
と父らしい言い方で涙が
母や主人にもすぐに伝えて、とても気がか
りだった言
感謝しておりました。
お礼は養子縁組をされている
NPO Babyぽけっとに寄付させていただきます
はーい ありがとう
最後の言葉を聞けなかった
何か言い残したことはないだろうか?
と残された者は、とても気になりますね
でもね。
わたし達が思うよりも、先に逝った
人は、何かしら思いを相殺している
のです
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