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一言居士21+α

欧米や国連が懸念するほど、日本の言論・報道の自由は危ない状況です。
そんな老婆心から立ち上げたのが「一言居士21」です。
40年余りの記者経験による直感と近現代史の視点から、
気ままに放言していきたいと思います。
(2016年4月、原則として敬称略)

あす8月15日は「終戦の日」

 

戦後75年経っても敗戦の日と言えないところに、この国の病巣がある。つまり、戦争の清算が未だにできていない、ということだ。

 

私たち戦後に生まれた世代はかつて、「戦争を知らない子供たち」(フォークソング)と言われたものである。ただ、ひと口に戦争を知らない子供たちと言っても、75年も経つと一様ではなくなっている。

 

そこで、私たち親が戦争を体験している世代を戦争を知らない子供たち「第一世代」と呼んでいる。祖父母が戦争を体験した世代は「第二世代」、曽祖父母が戦争を体験した世代は「第三世代」となるが、今では高祖父母が戦争を経験した「第四世代」も増えつつある。

 

第一世代でも皆が親から戦争時の話を聞かされているとは限らない。筆者の家では父を含め男子4人の内病気の1人以外の3人(1人戦死)が徴兵された。父が初めて徴兵されたのは満州事変のころで、太平洋戦争が終わった1945年8月15日までに都合4回出征している。

 

戦後、父は毎年、末っ子の筆者を連れて靖国神社を詣で、同じ砲兵隊の戦友と酒を酌み交わし旧交を温めていた。しかし、筆者は父から戦争の話を聞いた記憶は全くない。


私が幼少のころから戦争や歴史の話を聞かされたのは専ら母であった。母は学歴こそなかったが記憶力が良く歴史好き(今風に言えば「歴女」)だった。掃除や洗濯をしながら時に唄い時にいろんな話を聞かせくれた。

 

その母によると、真珠湾攻撃で米国と戦争が始まったとき、「米国と戦争なんかして勝ちっこない」と親しい婦人たちで話していたそうだ。東京といっても片田舎で軍や官憲の監視が緩かったのだろうが、そんな庶民でも戦争の結末は分かっていたのだ。

 

もし母が話を聞かせてくれなかったら、第一世代の筆者も文字通りの「戦争を知らないこども」だったろう。事程左様に、戦争を語り継ぐというのは個々人の意識の持ち方に懸かっている。

 

教育も大事で欠かせいが、何より身近な人の話ほど親身になるものはない。「敗戦の日」を迎えるに当たり、改めて、そんなことを考えた。

 

誤解があった」 そう強調した。

 

どこかの国の厚労大臣も同じフレーズを使っていた。責任転嫁である。

これだけでも大阪府の知事=リーダーとしての適性を疑うに十分である。

 

 

百歩譲って、「誤解」だったとしても、多くの府民、国民に誤解させたのは吉村洋文府知事自身ではなかったのか? 真っ当なリーダーであれば、自らの間違いを認め訂正した上で、迷惑をかけた府民と国民に「謝罪」するだろう。

 

また、会見冒頭の発言は「嘘のような本当の話・・・」というような過剰な期待感を煽る表現ではなく、後日、自ら認めたように「(うがい薬は新型コロナの)予防薬でも治療薬でもない」と前置きすべきだった。

 

ちなみに、隣にいた松井大阪市長は、「前のめりではないか?」と質問をした記者を恫喝する始末であった。類は友を呼ぶ、吉村も一見、穏やかそうに見えて維新は維新、素顔は強面なのだろう。

 

吉村知事は、翌日の記者会見では感情の爆発を必死に堪えながらも、記者に向かう態度はツッパリの“ケンカ腰”とも“逆切れ”とも見えるふてぶてしいものであった。

 

老爺心ながら、こんな連中に大阪の行政を任せておいていいのだろうか、と思う。大阪府民、大阪市民のみなさんは、見せ掛けのパフォーマンスに目を奪われることなく、一度立ち止まって再考することをお勧めしたい。

 

いずれは、こうなると思っていた。

凡人の知事が煽てられて木に登ってしまったが、次第に馬脚を露した。

 

全国の知事、市町村長を見渡せば、吉村洋文・大阪府知事程度の首長は珍しくないのだが、例によって例の如くTV等のメディアが、恰もアイドルの如く持て囃した結果、コロナ対策のスターであるかのような錯覚に陥ってしまったらしい。

 

吉村大阪府知事

 

虚飾に塗れ、自己都合での情報公開やメディアの選別を日常的に行う小池百合子都知事に比べれば“まだマシ”なのだが、鉄塔に赤色や黄色の照明でアピールしたり、安倍官邸とケンカする“フリ”をしたりと、目立ちたがりパフォーマンス府政を続けている。

 

次々に新しい対策を打たねばという強迫観念に襲われていいるのか、目立つことを焦った吉村は「前のめりの失態」を犯す。

 

大阪大発ベンチャーなどが開発中のDNAワクチン治験が大阪市大で行われる件で、吉村知事は大阪市大の審査委員会の承認前に日程や治験対象者を公表してしまったのである。

 

ところが、忖度しないコロナウイルスは、吉村知事に対しても容赦ない。

 

小池都知事の怠慢から再び全国に広がり始めたコロナ感染は大阪にも波及し、7月22日には1日の新規感染者数100人を突破したのち、わずか1週間後には200人を突破、29日は東京都に迫る221人に急増した。どうも、吉村府知事の連打してきたコロナ対策は、核心部分を外れていたのではないかと思われる。

 

●「本物」の登場で、霞む吉村大阪府知事と小池都知事

 

そこへ、核心を突くコロナ対策を打ち出した本物の首長が登場した。東京世田谷区保坂展人区長である。

 

世田谷区の保坂展人区長

           

保坂区長は、BS放送の番組で、東大・児玉龍彦教授が提唱する「世田谷モデル」について公表し大きな反響を呼んいる。「世田谷モデル」は、何時でも誰でもどこでもPCR検査を受けられる「PCR検査拡充策であり、「具体的に大量検査システムをどこかで突破することが一番近道という点にある」と語る。

 

児玉龍彦東大教授

 

世田谷区の検査陽性者も一昨日47人、急上昇する感染者増に対応して、「検査のキャパを増やすのは必然です」と言う。世田谷区は、これまでも相談から検査へスピーディーに結びつけるための努力をしてきた。「その土台の上で、今回、児玉教授の提言を受けています」と言う。

 

 

「党名問題」は、党名にして単なる「党名問題」に非ず

 

そこには、あの小池百合子・希望の党による「排除事件」以降3年間に渡って辛酸を舐めてきた心情的しこり“最後の葛藤”が垣間見られるからだ。

 

きのう16日の枝野・立憲、玉木国民の両党首の会見を聞いて、そう実感した。理念、政策といった領域では、知性と理性を働かせることによって乗り越えることができるが、最後まで残ったのが心情的な問題だった。

 

「排除された側」である立憲・枝野代表が受けた心のキズは想像以上に深い。それでも心のキズを克服しながら、共通の目的(合流➡政権奪還)に向けて尽力してきたのだろう。そうした葛藤が、立憲側から国民側に提示された合流案の“横柄な表現”となって表出したと思われる。

 

それ故、国民側が彼らの心情をどれだけ慮り、寄り添うことができるかがカギとなる。ただ今は党勢が逆転し、政党支持率でも立憲が国民を大きく上回っている。お互いに自分たちの主張ばかりしていれば決裂になり、向こう10年は野党の出番は消える。

 

ここからは党首同士、敢えて過去3年間の苦労を語り合い、お互いがお互いの立場に立って物事を考えてみることだ。お互いの心情が理解できたと実感できれば、凍てついた氷も解けていくだろう。

 

「新型コロナウイルス感染症危機によって、私たちの社会と経済政治と行政の抱える問題点が浮き彫りになっています。」

 

立憲民主党の枝野幸男代表はきのう7月16日、国民民主党に対して行った合流提案を踏まえて臨時記者会見を開き、合流➡「新党」が目指す方向性を示した。コロナ禍によって安倍自公政権との対立軸鮮明化した格好だ。

 

その対立軸について、枝野代表はおおよそ次のように対比した。

 

 

その上で、「私たちには、こうした方向に向かって、右でも左でもなく前に進み、ボトムアップの政治で、一日も早く現政権に代わるまっとうな政権』を実現する責任がある」と強調した。