あす8月15日は「終戦の日」
戦後75年経っても「敗戦の日」と言えないところに、この国の病巣がある。つまり、戦争の清算が未だにできていない、ということだ。
私たち戦後に生まれた世代はかつて、「戦争を知らない子供たち」(フォークソング)と言われたものである。ただ、ひと口に戦争を知らない子供たちと言っても、75年も経つと一様ではなくなっている。
そこで、私たち親が戦争を体験している世代を戦争を知らない子供たち「第一世代」と呼んでいる。祖父母が戦争を体験した世代は「第二世代」、曽祖父母が戦争を体験した世代は「第三世代」となるが、今では高祖父母が戦争を経験した「第四世代」も増えつつある。
第一世代でも皆が親から戦争時の話を聞かされているとは限らない。筆者の家では父を含め男子4人の内病気の1人以外の3人(1人戦死)が徴兵された。父が初めて徴兵されたのは満州事変のころで、太平洋戦争が終わった1945年8月15日までに都合4回出征している。
戦後、父は毎年、末っ子の筆者を連れて靖国神社を詣で、同じ砲兵隊の戦友と酒を酌み交わし旧交を温めていた。しかし、筆者は父から戦争の話を聞いた記憶は全くない。
私が幼少のころから戦争や歴史の話を聞かされたのは専ら母であった。母は学歴こそなかったが記憶力が良く歴史好き(今風に言えば「歴女」)だった。掃除や洗濯をしながら時に唄い時にいろんな話を聞かせくれた。
その母によると、真珠湾攻撃で米国と戦争が始まったとき、「米国と戦争なんかして勝ちっこない」と親しい婦人たちで話していたそうだ。東京といっても片田舎で軍や官憲の監視が緩かったのだろうが、そんな庶民でも戦争の結末は分かっていたのだ。
もし母が話を聞かせてくれなかったら、第一世代の筆者も文字通りの「戦争を知らないこども」だったろう。事程左様に、戦争を語り継ぐというのは個々人の意識の持ち方に懸かっている。
教育も大事で欠かせいが、何より身近な人の話ほど親身になるものはない。「敗戦の日」を迎えるに当たり、改めて、そんなことを考えた。





