正月の議題:選ぶ人、選ばない人
2019年です。年始早々姪に風邪をもらって喉が終わっています。でも可愛かったので全てを許す。大晦日、いつものごとくako姉妹といとこで近況報告会。いとこが2年付き合ってきた年下彼氏と別れたことで深夜3時まで盛り上がりを見せたダラダラ会議だったが、その中で物事の考える割合が姉と議論になった。その議論の発端は…失恋したいとこが「今はフリーになって清々している。失った恋を忘れるには次の恋だ」と言っていたことに対し、私が「せっかく清々してるんだから、そこに恋愛以外のもの入れてみたら?」と提案したことから始まった。私の思考は円グラフで出来ている。その円グラフは私のキャパシティーだ。一番面積を占めている物事から優先されていく。仕事・友人・家族・趣味・恋愛・犬などなど今までその中で大半を占めていたのは趣味と家族だったが、それらが年齢を重ねるにつれて割合を減らし始めた。となると、今まで入れてこなかった恋愛の割合を大きく取ろうかな?と思い始めたのが26,7くらいの頃だった。私はみんなこんな風に物事の優先順位を決めているのかと思ったが、姉の場合は違うらしい。自分を中心に、其処此処であらゆる事象が起きている、という。私の平面図に対して、姉は自分を中心とした立体として物事をとらえているらしい。私は起こり得る事象全てを自分の頭の中でどう優先度を付けて処理するか決めているが、姉の場合は事象の中点に自分がいるだけで、姉に起こる物事は勝手に湧いてくる。それに対応するかどうかは、必要に応じてだったり、自分が触りたいと思った物事に関してだけらしい。それは、姉の感知する事象が立体的であり、どれかを選び取って何かをする訳ではないという感覚から起こるものなのではないだろうか。『身の回りに起こることは、大体があちらからやってくるもの』という人の思考かな?と私は考えた。30年姉と付き合ってきたが、なるほど思考の違いはこういうことから出てくるのかと納得してしまった。私は何事も自分で決めたい。自分で決めたからには発言にも行動にも責任を持ちたい。だから主張しない者は嫌いだと言い続けてきたが、主張しない人たちにとっては私のような者は身の回りで起こるイチ事象に過ぎないのだ。何だか目から鱗というか、あ~!だからか~!という納得と言うか選ばない人達がいることは分かっているつもりでいたが、そうか~!そもそも選ぶという思考がないのか~!というか。姉が言うには、恋愛も趣味も仕事も、どれも何かに成り代わるものではないらしい。だから、私が言う『恋愛の代わりに趣味や仕事を頑張ってみればどうか』という式は成り立たない。恋愛を疎かにしたら、恋愛的事象は起こりえないのだそうな。私が恋愛を嫌いだと思うのは、自分一人では何も決められないところだ。始まりも終わりも私一人では完結しないのが非常~~~~に面倒である。なぜこんなに面倒なのかというと、私が自分の円グラフの中で自分にできるめいっぱいを決めているからであって、恋愛にかける気力体力を使い果たしたらもうそこで終わりだからではないだろうか。常々私はあまり気力が多い方ではないとは思っていたが、気力が少ないが故にキチンと何にどれくらい振っておくか決めておかないとパンクしてしまうのだと思う。一方で、何事も自分で決めて自分で動いて自分で終わらせたいという、気力がないクセに我が強いせいで難儀している部分が多々あるとも思える。「ちょっと合理的過ぎて引く」とまで言われた私の円グラフだが、なるほどこのせいで色んな人とケンカするし恋愛は短期決戦しか出来ないのだなと納得してしまった。私は自分の生き方が好きだしココから立体図に変わることはあるとも思えないのだが、立体の人達の方が余計なエネルギーを使わず、しかも冷静に世を渡っていけるのではないか?と思うと、羨ましく思ったりもする。新年早々『私モテなそうだな』を発見してしまったakoであった。