ここ数ヶ月、与えたい人に困惑する日々を過ごしている。
与えたい人は一定数いて、例えば小まめに小土産をくれるだとか、ノートを写させてくれるとか、メチャクチャ遅刻しても待っててくれるとか
物だけでなく、時間や親切心なども私は「与えられている」と思う。
「奪ってしまっている」とも思えるのだが…。
与えられて気持ちいい範囲は人によって違うし、与えて気持ちいい範囲も人それぞれだ。
私は、与えられることに然程抵抗はないし、自分が与えるに値しないと思った人にはとてもケチだ。
けれど「これ以上は」というボーダーはもちろんある。
そのボーダーに触れはじめると(私ルールだが)後ろめたさから上下関係に似た関係が出来てくる。
好意の返報性とはよく言ったもで
「そろそろ返さないと非常識だと思われるんじゃ?」
「さすがに悪いよね」
「勝手に与えてくるのにお返ししなかったせいで悪者にされるのもヤダな」
と言った感情から、本来与えられていなければ発生しなかった気疲れや出費が発生する。
「くれ」と言ったわけじゃないのに、何で私がこんなことに気を遣わなくちゃならないんだ…と
与える・与えられる側双方のキャパが合っていれば良いのだが、基本的に自己中心的で人に何かを渡すのが好きじゃない人間からすると
与え続けられるのは、大分親しくない限りは困るのだ。
この点に関しては、男性より女性の方が面倒くさい。
男性は分かりやすい。
下心があるからだ。
そして、お返しは「この私との時間、プライスレス」で良いから楽なのだ。
その下心を満たしてあげたんだから、win-winだよねと片がつく。
相手は親切とご飯代を、私は人生の2時間〜4時間を差し出している。
取引は成立しているのである。
しかし、女性はそうはいかない。
女性同士では「会う」ことに対するハードルが低すぎるし、それなりに話も弾むし食べ物の趣味もそんなに外さない。
私が我慢したり気合いを入れたりするポイントが、非常に少ない。
私のことが大好きな女性といるときは、私との時間の価値は、対男性の時より大幅に下がる。
※私の親切へのお返しポイントの価値とでも言おうか
女性同士の私たちが、そんなに親しくなくても2人で出かけるのは全く特別なことじゃないならだ。
密室で2人になる価値も、2人で旅行に行く価値も、男性ほど難しくないせいで大幅に低い。
私との時間だけでは、返し切れない。
親しい友人なら、お金を出してお土産を買うことも、何時間か待つことも、いつか返し、返してもらえるから抵抗はない。
親しい友人なら、話しを聞いてほしい・今日は何となく人とご飯が食べたい、なんて時にお互い同等の価値で返し合える。
だが、親しくない女性はちょっと違うのだ。
モノならモノで、時間なら時間で返さねばならない気がしてしまう。
だってその人に何かあったときに、支えてあげたいと思えない。
その人が寂しい時に、ちょっとご飯に行こうと言ってあげられない。
だって特に欲しくなかったものを一方的に与えられただけなんだもの…!!!
それでも、何とか返そうとはするのだが、返せば返すほどそういう人たちの愛はエスカレートしていく。
逃げるものを追いたくなる習性なのか…。
いつか大きなお返しを求められることを恐れる日々である。