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まさかずのブログ

何を見ても何かを思い出す。
小説・映画・法律・政治。

こんにちは。

僕はあまり量は多くないけれども、
映画は比較的継続して見続けている訳ですが、
ヤフー映画のレビューに書いてあるような、
「時間の無駄」だとか「ミスキャスト」だとか、
「素人レベルの映像」だとかは、思ったことがありません。

映像のプロの方達が一生懸命作ったことに
まずは敬意を払うべきだと思うし、
たとえ物語に刮目して観る所がないとしても、
自分以外の誰かが「作った」ものを観ることは
それだけで我々が生きている価値があるのではないかと思います。

だから、「時間の無駄」とか「試写会だからよかった」とか
「お金を払うと損」だとか言う人は、
金銭的にも経験的にもいくらか貧しいのじゃないかと思います。


とはいえ、僕にもどうしても許せない映画はある訳で、
『キリング・ミー・ソフトリー』と『斜陽』の2本に関しては、
観て損だとは思わないけれど、
作った人は死んだ方がいいと思うんですね。
(件のヤフー映画のレビューでは
前者は取り立てて叩かれることもないようですが)

これを許せるようになったら、
また人生が豊かなものになる気がしないこともないです。
ただ、僕は死んだ方がいいと思います。



そういう意味で、『気球クラブ、その後』は
「時間の無駄」「素人レベルの映像」と言いたくなる気持ちは理解できます。
ざらついた映像も、痛々しい台詞も、人が死ぬという安直なストーリーも、
ちょっと観ている方が恥ずかしくなる時があります。


僕自身、園子温監督で、いしだ壱成が出演しているという以外は
ほとんど期待することなく観始めました。
それは1回見終わった段階でも変わらず、
いしだ壱成の妙にセクシュアルな佇まいと、
川村ゆきえさん演じるみどりちゃんの異常な性的魅力と、
僕の知っているF君に似た、深水元基のいやらしい表情と、
体液の臭いがする部屋で作っていた美味しそうなカレーしか
興味を引かれることはありませんでした。
あ、永作博美の胸が締め付けられる演技は批判のしようがありません。


そんなわけで、2回目を観る機会があったのですが、
ヤフー映画の頭の悪い、薄っぺらい映画通の人たちからすれば、
これこそ「時間とお金の無駄」といったところでしょう。


ただ、僕は映画全体としては
1回目に観たときと同じような感触しか覚えなかった訳ですが、
作中で合唱される、荒井由実の『翳りゆく部屋』が
耳にしつこく残ってしまい、それ以来僕はずっと鼻歌で口ずさんでいます。

この歌の歌詞を何度も何度も繰り返し繰り返し歌うたびに、
『気球クラブ、その後』が全体として素晴らしい群像劇に思えてきたのです。

文字に起こすときわめてありきたりなのですが、
映画と歌の両方に言えることは、
輝いた人生の時間は戻ることはないけれど、
失われた時間には、忘れてはならない思いがある、ということです。

それは象徴的で、時にメタファーとして表示されるもので、
気球であったり、あなたの横顔だったり、
逆光の中に浮かぶ君の後ろ姿だったり、
つまらなそうに漂うタバコの煙だったりするわけです…。


僕がちょうど同じようなことを考えていた時期に
この映画に出会ったということも関係のないことではないでしょうけれど、
繰り返すことで感情が深まるという経験を、
僕は『気球クラブ、その後』で初めて味わいました。

ちょうど、おもしろくもなんともなかった
ヘーゲルの「精神現象学」を
何度も繰り返し読んでいた時期と似ているな、と思いましたが、
やっぱりそれとは別物のような気がします。


こういういきさつで、
僕は今、荒井由実をエンドレスで聴いている毎日です。


『ルージュの伝言』を比較的大きな音で聴いていると
嫌な歌だと顔をあからさまにしかめる人もいますが、
僕はユーミンの歌を聴くたびに、
失われた輝きと、その時に僕が持っていた感情を
大切にしようと思うのです。


だから、映画の悪口をおもしろおかしく述べ立てる輩は、
僕にとっては、旨くもないラーメンに情熱をかける
ラーメン屋のオヤジと同じレベルです。

面白くないと思った映画を繰り返し見るという作業は、
人生の失われた輝きを大切にすることと同義です。


ただ、僕が強く言いたいのは、
『キリング・ミー・ソフトリー』と『斜陽』を撮った人たちは
反省した方がいい、ということです。



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