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まさかずのブログ

何を見ても何かを思い出す。
小説・映画・法律・政治。

こんにちは。

長崎県へ旅行へ行って以来、
生活を送る上でのスタミナがどんどんと減少し、
休みの日はほとんどの時間をパソコンに向かっているか、
あるいは映画を観たり本を読んだりに費やしています。

「こういう時期だ」と割り切ってしまえば
まあ得るものは少なくない時間でしょうが、
僕の人生のほとんどは、「こういう時期」なので、
本来の人生が戻ってきたという絶望の時期でもあります。

マーラーという作曲家のチェロ協奏曲が好きで
よく聴いているのですが、
マーラーはその生涯を、孤独のうちに終えたそうです。

ひとそれぞれ孤独の状態は異なるので、
マーラーの孤独を共有することはできませんが、
孤独を知っている人間というのは、
それ相応の魅力があるものです。

逆に、孤独を知らない人間は、
バカになって死んでいきます。


というわけで「桐島、部活やめるってよ」と、
「フラッシュ・ゴードン」という映画を、
休日の自宅で一人鑑賞しました。

同じ時間を複数の視点で繰り返す、
極力ナラテゥヴを排したドキュメンタリータッチの手法は、
文学、映画を問わず、いつの時代にも
けっこうな数で存在する訳ですが、
この映画を観た人は、登場する高校生の視点を観た瞬間、
最近の「エレファント」を喚起するのではないでしょうか。

僕も、最初の30分くらいは、
神木隆之介くんともうひとりの蛭子能収みたいな男の子が、
武装して生意気な高校生たちを皆殺しにする映画だったら
最高なのに、と一人でにやにやしていました。
(別に猟奇的な趣向がある訳ではなく、「エレファント」はわりと好きな映画です)


それはそれとして、日本の学校社会では
たしかに部活動や個々人のキャラクター、友達グループや
学力・ルックスでの格差が存在する訳ですが、
僕はその格差・階層を映しただけの映画ではないなあ、と思いました。




この擬似的な階級社会における特徴のひとつは、
原則的に逃れられない、ということです。

逃れることは、彼らが想像している以上に容易なのですが、
くだらない階級・グループ意識が過剰なせいで、
ほとんど強迫観念のように、若者は矮小な社会に束縛されるものです。

巷間で白熱した議論が交わされている
体罰やいじめという、あまりに非生産的な一連の事件も、
これらの強迫観念が思考を停止させるためだと言うのは、
珍しいことでもなんでもない事実です。

だから、この社会に階級が
ある意味ではもっとも重要なファクターだと仮定して、
彼ら学生たちは「生きていかなければならない」のです。





学校における社会においては、
友達やグループを作る・所属することは、
一般の社会に比べて比較的容易です。

学校に行きさえすれば、特殊な状況を除いて
嫌でも顔をあわせるクラスメイトがいるわけで、
部活に所属していれば、
彼らと同じ行動を望み、求められます。

ただ、その社会で一旦「孤独」を感じた場合、
その社会から脱却することは、
参加するとき以上の困難を伴います。

ここでは学校・学級・部活動という
大きな、外的な集合に対し、
その集合のうちにありながら、
「彼」はやはり孤独になるのです。

「彼」の内的な視座は大きな集合を拒否するが、
外的な集合は(彼の内面的な視座からは)
「彼」のすべてを内包している…。

この極端にダイナミズムに欠けた内的な思考が、
大きな集合の殻をより強固なものにしていきます。

その殻にひずみ、ひびをいれた出来事が、
「桐島が部活をやめたらしい」といううわさです。

おそらくはこの大きな集合の頂点にあった人物が、
自ら集合を拒否したことで、
集合内の秩序や個々の思考が混乱する。

この状況下で、曲がりなりにももっとも健全であったのは、
映画部の彼らでした。

彼らは集合内の内的な孤独ではなく、
根本的に孤独な存在です。

階級内のあらゆる条件から
早々に意識的に脱落し、
「汚い8ミリのレンズ」から学校=社会を見ている彼らは、
本来の孤独を知る人間たちです。

だからと言って結論づけるのはいささか乱暴ですが、
孤独な彼らの「汚いレンズ」で撮影された
集合内の孤独な彼は、涙を流すシーンは、
この映画におけるクライマックスとなりえます。




まあ、何が言いたいかと言うと、
彼らの中で生きていくためには、
孤独というのもひとつの手段になりうる、ということと、
狭い社会で調子に乗ってもろくなことはない、ということです。

孤独な人間にとり、映画というのは、
最も効率の良い慰めなのです。






それにしても、僕が映画の中でもっとも印象的だったのは、
どうしようもない野球部のキャプテンが、
「ドラフトが終わるまで野球部を引退できない」と
後輩に語るシーンでした。

彼も彼なりに努力はしているのですが、
実力と才能に恵まれず、
その努力自体も不十分であることを
彼自身が一番良く知っている。
でも、プロになれるんじゃねーかという
希望とも言えないような、ふざけた戯れ言を、
僕は心底理解することができました。

ルックスが絶望的な感じなのも、
彼の悲劇に輪をかけます。
ただ、僕は彼に対し、
「早く辞めちまえ」とは
どうしても言えないのです。





マロさんという人が絶賛したので
観たこの映画でしたが、
十分に楽しむことができました。

ただ、同じ日に観た「フラッシュ・ゴードン」。
これは、かなり問題のある映画です。

良い悪いとかで語れない、
好きか、あるいは観ないかという選択肢しかない映画は、
非常に問題があると、僕は思うのです。

そういう映画は思いのほか多くて、
見終わった僕を混乱させます。
水野晴男のレベルに至っては、
否定することも無視することも無粋であるという、
悪魔のような映画です。


ただ、マロさん、君はヒロキだが、
自覚はあるだろうが、かなりピンポイントで前田だよ。
という内輪の話しで、今日は終わります。


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