まさかずのブログ

まさかずのブログ

何を見ても何かを思い出す。
小説・映画・法律・政治。

Amebaでブログを始めよう!
こんにちは。

熱心なジブリ映画のファンという訳ではないですが、
僕はここ最近のジブリアニメを欠かさず観ています。

僕は「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」のような
ファンタジックでスケールの大きな作品よりも、
当人たち以外にとってはどうでもいい、
誰にも同じ経験はないが、郷愁に似た切なさを感じる、
「耳をすませば」や「コクリコ坂から」が好きです。

という訳で今回も公開初日に観てきました「風立ちぬ」。

宮崎駿が初めて実在の人物をテーマにしたとか、
戦前のエンジニア達のロマンとか、
戦争の虚無感とか、僕にはどうでもよくって、
ただあの時代のファッション、
白やブルーのさわやかなジャケットのセットアップが欲しくなり、
早速購入しました。わわわ。

ステッキは「ダーク・シャドウ」を観て買っているので
あとはロイド眼鏡とボーラーを買って、
戦闘機の設計ではないですが何かに頑張る予定です。


戦争と言えば、最近「はだしのゲン」の
図書館の閉架処置、閲覧の制限が問題になっていますが、
その主旨は、子供が閲覧するには刺激が強すぎるとか、
トラウマになる子供がいる、というものです。

また、同じような理由から、
広島の原爆資料館から
焼けただれた被爆者を再現した
フィギュアが撤去される予定とのことです。


こういう時、僕は常々思うのですが、
何でもかんでも子供のせいにするな、と強く言いたい。


島根県松江市の教育委員会の措置のきっかけは
「市民」からの陳情が発端としてある訳ですが、
大体において言論出版の自由に制限がかかる”検閲”を含め、
図書の内容に対してある種の”個人的な感覚”により
一般の閲覧そのものや動機に圧力がかかること自体は
政治的な理由に他なりません。

それを子供の感覚を代弁するように持ち出すのは、
教育的というよりも、
姑息で非教育的な暴力です。
体罰にも似た非合理なものと言えるでしょう。

だから”子供の教育”にかこつけて、
歴史認識に誤りがあるとか言い始めるバカが出てくる。

もうね、こういうお決まりのやり方は
看過しがたいものがあります。本当に。



加えてより馬鹿げていると思うのは、
経験というものに対する浅薄な認識です。

刺激的な図書、漫画を読むことで
子供がダメージを受け、トラウマになることを恐れていたら、
一切の芸術は「子供」にとり無感覚なものになるでしょう。


何でもかんでも経験が重要だというような
風潮にはいかがなものかと思うのですが
教養を身につけようと思ったら、
もうこれは経験の量に保証されるしかないものなのは明白です。

そもそも読書を含め、一般的に教育的な素養は、
実に「刺激的」です。

ドストエフスキーの前期の作品は
刑務所だとか地下室だとか賭博だとか
おおよそ刺激的な内容ではありますし、
ジャン・ジュネの小説は文字通り「泥棒日記」です。

ダンテの「神曲」は地獄で焼き、刺され
絶望して食べられる人間の姿が繰り返し描かれますが、
それは”道徳的な”人権の向こうにある原始的な”罪”の描写です。

漫画を読んで子供がトラウマを受けるとか
厚顔無恥に宣う方々は、
よほど貧弱な読書体験を送ってきた悲惨な人間か、
それにより読書を軽視するようになった
浅はかな人間かのどちらかです。


長崎・広島で原爆で命を落とし、またあるいは被害を受けて
長い時間を苦しみ生きてきた方の”体験”は
戦争が対岸の火事である現代の読書”体験”には
遠く及ばない強烈な経験であるはずです。

それを経験者・観察者である中沢啓治さんが
描き、相似的、擬似的に体験させることは、
「戦争の悲惨さを伝える」意味で実に教育的です。


・戦争教育は一切実施しない、忘却する
・もう一度原爆を落とされて同じ苦しみを子供たちに味わわせる
これらの悲劇を回避しようと
被爆者の方々は格闘し、様々な試みに心血を注いできたのに、
悲劇を鑑賞に堪えうる限り縮小した試みに対し、
子供のせいにして閲覧を制限する人間には、
もはや戦争教育を語る資格はないと思います。


僕が声を大にして言いたいのは、
「子供の教育を口にする人間には
子供を教育する資格はない」ということです。

街頭のインタビューで、子供を持つ母親に
「はだしのゲン」の閲覧制限の是非について
アンケートを取っていましたが、
子供を持つ母親が想定する”子供”は
自分の子供であって、教育を語る対象としての”子供”ではありません。

これは偏って考えで、僕の傲慢で誤った思考なのですが、
一応持論として、
「人間は子供ができると自分のことしか考えなくなる」と思っています。

でもこれは遺伝子を守ろうとする人間の本能なので、
仕方のないことなのですが、
世界の”子供の教育”を考える素質としては
お門違いな気がします。



世界は個人の人生に対して
あまりに”刺激的”な体験をもたらし、
多いに”トラウマ”を残し、
そのくせ個人に対して責任を負担することはありません。


世界の不合理を想定し、回避する訓練を行う。
圧倒的な苦しみをさけて、類似した経験から
その悲惨さ、無情を学習する。


その手段として「はだしのゲン」を
制限することは、賢明ではないでしょう。


世界に対して無自覚に子供を教育していることが、
原爆投下から68年が経過して
戦争の記憶が薄れてきていることの証左だと思います。


それにしても、ジャケットを買ったまでは良かったのですが、
ウエストがきつくてまだ裾上げもしていません。

食糧危機にでもなれば話しは早いのでしょうが
僕はいつになったら痩せられるのでしょうか。



$まさかずのブログ-風立ちぬ