とりたてて「熱心に」という訳ではありませんが、
僕はNHKの東京カワイイTVという番組をわりと頻繁に見て、
そして好きなのです。
ザッピングしてやってたら必ず見るとか、
映画を観終えて地上波にチャンネルを合わせたら
必ず見るとか、その程度の「好き」です。
出てくる女の子たちの器量が良いとか、
そういったスタイルを真似したいとかではありませんが、
そこに確かにある「カワイイ」を見ることは
非常に清々しい気持ちをもたらしてくれます。
彼女たちの容姿やスタイル・指向、目的に”関わらず”、
「カワイイ」は確実に存在しています。
その「カワイイ」は自由なように見えて
厳格で明白、積極的だが繊細な規律によって
管理・徹底されているように感じます。
そう感じたのはオーストラリアのモデルたちが
東京へ来て、「カワイイ」スタイルに変身するという
どうでもいいような企画だったのですが、
「カワイイ」のフォルムの中では、
元来スタイルに秀でた彼女たちも、
画一的でシンボリックな”アイコン”に変わったのです。
今日は一日の始まりから、
「きゃりーぱみゅぱみゅ」(※以後きゃりー)の
CDをレンタルしようと思って
朝・昼・夜を過ごしていたのですが、
とあるマロさんに伺ったところ、
どうやら一部の女性にとっては、
きゃりーはあまり評判のよいタレントではないとのことです。
驚いてその理由を聞いてみたのですが、
どうも「顔がかわいくない」らしいのです。
ある種の女性たちにとって
「思い違い」は彼女たちの感情の一部で、
人生そのものと言っても過言ではないように思いますが、
彼女らが語る「かわいい」と、きゃりーの具現する
「カワイイ」は別物で、
「顔がかわいくない」からという批評が成立すると思っていること自体
まったく的外れでお話しにならない…。
同じことを繰り返しますが
(おそらくこれがブログが冗長になる主因ですが)
「カワイイ」は厳格な規律で管理されており、
感情的に、主観的なもので立脚しているものではないのです。
ParfumeやももいろクローバーZのことを
ゴリラだとかブスだとか歌が下手と悪口を言う人たちがいますが、
彼女たちは一種のアイコンとして表現されているのであり、
たとえば「カワイイ」という評価基準も、
厳然な”事実”として存在している、ただそれだけのことなのです。
コンピューターでプログラミングされた
キャラクターのダンスが下手だとか、
歌が下手だとか、言うだけ時間の無駄であり、
恥知らずの思い違いなのです。
女性の方がアイコンの「カワイイ」を理解できるものだと思っていましたが、
これらは当事者でない男性の方が広く理解しているように思いますし、
逆に男女問わず、「思い違い」で了見が狭くなっている人たち、
経験的な自己原則にのみ従い世界を切り分ける人たちを、
村上龍的に言えば、進化を止めた「おばさん」と僕は呼びます。
とはいえ、きゃりーにしろ
Perfumeにしろ、ももクロにしろ
大して興味がある訳でもなく、
僕にとってはチャンネルが合えば見るくらいです。
きゃりーのアルバムを聴いて、
あらためて強くそう思いました。
というわけで、「アルゴ」です。
深夜にぼーっとテレビを見ていると、
BSでアカデミー賞の授賞式をやっていたので
アルゴが作品賞を受賞したというわけで、
さっそく観に行くことにしました。
ニュースなどで、イランから「プロパガンダだ」、
「あまりに一方的だ」という非難が浴びせられているという話しは
聞いていたのですが、
作品賞のプレゼンターがミシェル・オバマで、
ホワイトハウスから中継で発表するというのでは、
ちょっとやりすぎというか、もうプロパガンダって言えばいいじゃん
と思いました。
この映画がプロパガンダとしてどういう意味をもち
どういう役割・効果があるのかというのは
アメリカの忠犬国民の一人が想像すらできないことですが、
アメリカのパターナリズム的な世界の支配は、
この映画で知る以前の話しです。
だからと言って、この映画がつまらないかと言えば
けっしてそんあことはありませんでしたし、
例によってヤフー映画のレビューで
「プロパガンダだから良い映画ではない」という
文脈でしか語れない人は、
映画を見る前に、ママのケツの穴でも舐めてな、と言いたくなります

国威発揚であったりプロパガンダ的な演出は
いつの時代にもある訳で、
ベルリンオリンピックでも、
北京オリンピックでも、そのフィルムは
記録的な意味は別にして、非常に興味深く観ることができます。
加えて、僕は専門家ではないので無責任で軽率に書きますが、
アメリカのパターナリズム的な政治戦略にしたって、
結局は石油資源や経済的な利権を確保するためのものなので、
大航海時代の植民地支配と歴史的なベクトルは同じなのです。
加えて僕が常々思うのは、
アメリカのパターナリズムは
たしかにイランにせよイラクにせよシリアにせよ
国家の主権・自治権を著しく損なうものではありますが、
そもそも国家というのは、それほど重要なのだろうかと思います。
「一人の女の子を守ることは、国を守るよりも難しい」という
言葉がありますが、
原理的な立憲主義的にみれば、
国家は強大であっても、決して目的的に存在するものではないはずです。
それは、「実在しない」という点において、
「カワイイ」に劣る幻想です。
だから、プロパガンダを理由に「アルゴ」を映画的に批判することは
「思い違い」以外の何ものでもありません
「きゃりーぱみゅぱみゅは全然かわいくないのに何で売れてんの」とかいう人や
「アメリカの政治的な意図でオスカーを獲ったクソ映画」という人は、
家に帰って犬のキンタマで顔でも洗ってろ、と言いたいものです

(フランソワ・ラブレーの『パンダグリュエル物語』では
牝犬の子宮を細かくして婦人の懐にしのばせて、雄犬に襲わせるという
素晴らしく愉快ないたずらがあります)
僕はベン・アフレックという典型的な筋肉アメリカンフェイスが
あまり好きではなかったのですが、
「アルゴ」は非常に面白く観ることができました。
良くも悪くも、映画らしい映画だなあと思って
時間を忘れてドキドキしながら見入ってしまいました。
ラストの一仕事が終わる前後は、
異様な緊迫感と安堵感で、
ベン・アフレックと握手したくなりました。
ただ、個人的に不思議に思ったのは、
何で6人の外交官だけ先に助けることが重要なのだろうかということと、
イランってあんまり暑くないのかな、ということです。
前者は僕の勉強不足のために理解ができていないのだと思いますが、
人質にされた人たちと一緒に助ければいいじゃん、と思いました。
こっそり出国したことがばれたら(まあ、ばれるんですが)
他の人質が殺されちゃうんじゃないかと思いました。
そもそも前の国王の身柄という取引で
すべてひっくるめて解決すれば、
みんなまとめてたすかるんじゃないだろうか、とか。
後者に関しては、イランは暑そうなので、
「アラビアのロレンス」のサウジアラビアとか
「バベル」のメキシコみたいに、
こっちが熱中症になるくらい絶望的な
蒸し暑さを想像していたのですが、
あんまり暑くないんだね。イランって。
ベン・アフレックはいつもジャケット着ていましたし。
蛇足ですが、
少し猫背のベン・アフレックの筋肉の異様な存在感は
僕をずっと脅迫し続け、
ラクダのこぶみたいに盛り上がった僧帽筋は
僕にとり恐怖そのもので、
ポロシャツとかTシャツ姿だったら
まだ大人しくしていられるのに、と思いました。
それにしても、僕は非常に
口汚く下品な文章を書くなあ、と絶望しきりです。
アルゴブルーレイ&DVD (2枚組)(初回限定版) [Blu-ray]/ワーナー・ホーム・ビデオ

¥3,980
Amazon.co.jp