ふとそんなことを思いました。
例えば、友達と数人で飲みながらわいわいするような会話、会社でいろんな担当者を呼んで議論する会議、そんな複数人が双方向でやり取りするコミュニケーションは、ネットの世界では随分と少ない気がします。
単にそれらをネットに置き換えてチャットをする、というのはあると思いますけど。
が、多くは1人(1つ)の問いかけや議題に対して、複数人がわいわい意見を言うような1対Nの形式が多いですよね。
しかも、その意見をいう人は互いに顔を知らずに話しているわけです。
2chで取り上げられるスレッドでも、話題を提供する人が1人いて、語り手と聴衆というような形式で話が進んでいくことが多いです。
途中、幾人かがが合いの手入れますけど、それは語り手(話題の提供者)に対してのものが中心で、聴衆同士が意見を交わすことはほとんどありません。
なので、1対Nという表現は、そのコミュニティを取り巻く状況を俯瞰してみたらそうであって、実際のところは語り手と聴衆の1人が1対1のコミュニケーションをとり続けているだけ、と言うのが実際だったりします。
リアルの世界でも局所的に見れば、もちろん1対1の会話と言うもので成り立ってはいるのですけれど、それに対して別の議論が巻き起こることはあります。
ネットの匿名性から、互いに知らないもの同士、しかも自分たちが中心にいない場では、その脇役同士が会話を交わすことにあまり意味を持たない、というのも1つあるかもしれません。
飲み会の場では、いろんな人が弄られて時に自分に主役の場がまわってくることがありますけど、ネットの世界の多くでは、その場というものは自分が作り出さなくてはならず、しかもその「場」というのは、共有しにくい性質を持ってたりします。
例えば、ブログで1つの話題を提供して、それに反応しようとした場合、コメントしてもいいですけど、もう少しきちんとまとめて意見を書きたいなら、自分のブログにその場を持ってこないといけなくなったりします。
トラバしてたとしても、場が離れている関係から、円滑にコミュニケーションもとり難いですし、何よりも反応が遅く、話題の鮮度が落ちていってしまいます。
Twitterも基本、1対Nのコミュニケーションツールではないでしょうか。
ある人の発言に反応して、フォロワーがPOSTしだす。
そんな繰り返しで会話が成り立ってたりします。
でも、フォロワー同士が会話しだすのは無いですよね。
まぁ、そのフォロワー同士がフォローしあっておらず、知らない同士で会話がしにくいと言うのはあるかもしれませんけど。
Twitterって個を表現できるツールですけど、議論するとなるとその人のタイムライン上では会話が成り立っても、外野(フォロワー)の人には、その情報をつかみにくかったりもします。
なんかこの辺がもう少しどうにかなったら面白いのにな、と思ったりします。
これは日本だけなのかどうかわかりませんけど、ネットの世界を見ていると発言者を立てる、という文化があるような感じも受けます。
とりあえず自分の意見を伝えてみて、外野が何か言っててもそれに反応することは、元ネタの発信者の場を壊すことになってしまうな、というような感じでしょうか。
空気を読むというかなんと言うか。
ただ、当然その助言に対して新たな意見や議論の余地と言うのは生まれてくるもんだと思ったりします。
リアルの世界でも、当事者以外のところで熱弁を振るうもの同士がいたりしますし。
なんか、この辺をもっと押し上げていったら、ネットってより面白い方向になるのではないかな、とそんなことを思ったりもしました。