ゼロから始められる幸せ | A Day In The Boy's Life

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

以前に書いた「悩む力 」というエントリで紹介した本ですが、その中にこんな一文があります。


悩む力 (集英社新書 444C) P.51 末流意識という「あきらめ」

時代をゼロから創っていった世代には、「オレたちが頑張ったから、この国は発展したのだ」という満足感のようなものがあります。社会に多少の矛盾が生じても、当事者であるだけにさほど疑問を感じません。
(略)
しかし、すでにできあがってしまっている時代の中で生まれたものには、そのような充実感はありません。むしろ、世の中の矛盾ばかり目につき、それを創った世代に対して不満を感じます。


思い返せば、私はインターネットが企業内に深く浸透しだした2000年に入社して、社内のシステムもWebアプリに移行する変革の時にいました。

しかも、私が配属になった部署は、立ち上げの段階にあり、周りはほとんど同期という状態。

その中で、企業内の色々なシステムの立ち上げに携われて、今思えばかなりラッキーだったなぁと感じたりします。


以前に書いた「減っていく失敗できる環境、増えていく失敗できない環境 」というエントリの中でも書いたことですが、今はそんなゼロから始められる環境というのはほとんどないのではないでしょうか。

自分たちの知恵を振り絞って何かをやろうという環境。

あるのは、そこにいる先人たちが築き上げたノウハウや経験からできた制約やルール。


後からそこに入ってくる人にとって見れば、紹介した文章に書いてあるような、そんな環境でも「俺たちが新しい時代を築く」という前向きな動機などではなく、今あるものへの疑問や先人たちとの間にある見えない壁による疎外感の方が強いような気もします。


この本を読んでふと自分の立場と、その後に入ってきた人の間には大きな壁があるのかな、と感じたりしました。

そういう人たちには「好きな方法でやっていいよ」とか「もっと若い世代が頑張らないと」って言ったところでそのような壁を感じ取っているのかもしれません。


SIerなどは、プロジェクトごとにゼロからのスタートとなることも多いでしょうが、やはりそこにも先人がいて、妙なルールも存在しているのではないかと思います。

また、特に私がいるような情報システム部門は、システムのライフサイクルとともに業務を組み立てるので、かなり息が長い業務が出来上がります。

そこには長年面倒を見てきたことによるシステムへの愛着なんかで、新しい人たちを知らず知らずのうちに追いやるような格好になっていたりしないでしょうか。


一つのことをずっとやっているとそれが当たり前になり、そしてそのやり方に固執しようと考えたりします。

ただ、昨日のやり方が最善の方法かというとそうではないので、新しく来た人の考えにより、よりよい方向に向かわせることができる柔軟な頭が必要かと思います。


新しく今いる環境に来た人のモチベーションをあげるためには、そのような壁を取り払うことが必要かと。

それは、そこに長くいた自分たちがいつまでも先輩面してるんじゃなくて、そういう文化さえも切り崩していって道を作ってあげるということが一つの解決策になったりするのかな、思ったりしました。