当たり前時代の子供と携帯電話の付き合い方 | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

子どもの携帯所持、福田首相「ろくなことがない」 @ asahi.com


私には子供がいないので、親の立場として意見する事はできませんが、この意見自体には少し疑問を感じます。

日本の携帯電話の普及率は80%を超えており(@ 総務省 情報通信統計データベース )、つまりは赤ちゃん、お年寄りを含めて携帯電話を持っていない人は5人に1人しかいないという状況になっています。

予断ですが、世界中で見ても携帯電話の普及率は5割を超えたそうです。


携帯電話、ついに世界普及率5割に到達 @ ITpro


で、この爆発的に普及し続けている携帯電話ですが、確かにそれによる子供が巻き込まれる事件が増える一方で親としては子供の居場所が特定できたり、離れていても簡単にコミュニケーションが取れるという利便性も持ち

合わせています。

子供にとって携帯電話が危険視されているのは、その本来の機能である電話を持ち運びできると言う機能より、むしろインターネットの接続端末としての機能が持ち合わせっているから、というほうが色濃いと感じます。

それによって、現在では様々なキャリアでフィルタリング機能を提供していたりしているわけですが、こういった制限を強化するだけの方針だけでなく、子供たちへインターネットは何か?そこにある利便性とリスクをちゃんと教育する事が必要なのではと感じるわけです。


私が子供の頃は携帯電話なんぞ無かったわけで、適当に夕方まで遊びほうけて、夕飯の時間ぐらいに家に帰っていく、親もそれでたいした心配もせずに生活が回っていたわけですが、このインターネットと言うもう一つの世界が出現した事で、実生活だけでなくそのもう一つの世界での子供たちの行動をどう守るかが議論の対象になっていると思います。

昔は、近所づきあいもそれほど希薄ではなかったので、近所の目がそれを守ってくれたりもしましたが、インターネットの世界では、その近所の目がありません。

携帯電話各社のフィルタリング機能がその代役にさせようとしていますが、昔の近所の目というのは、何も子供たちを監視するだけの役割ではなくて、子供たちが道を外さないように指導するという役割も果たしていました。

しかし、フィルタリングの機能は監視・制限するだけでその指導を行う事はできません。

子供たちは何時までもネットにある危険性を分からないまま育っていってしまいます。

分かるのは何かあったというときでは遅いはずです。


インターネットにはこういう危険性もある事を子供たちは知っておかなくてはなりません。


子供たちの将来に影を落とすネットの書き込み @ CNET Japan


少し大げさな問題提起だとは感じますが、少なくともネット上では自分の分身を作り出せばそれが何時までも残る危険性がある事を教えておかなくてはなりません。

2chに脅迫まがいの事を書き込んで逮捕されたなんて事件もよく耳にしますけど、あれもそういった方面の教育が足りていない事の弊害なのではと感じます。


携帯の利用が「教育上よくない」という意見は発する事自体が意味のないことだと思いますけどね。

教育上よかろうと悪かろうと、当たり前にある携帯電話を子供たちから一切引き離す事は不可能です。

テレビが出てきた時代に、子供にテレビはよくないという議論を出したところで普及してしまったものを止める事もできず、テレビが当たり前に合った時代を多くの人は育ってきました。

しかし、それが実際よかったのか悪かったのかなど誰もわかりませんし、今ではその議論すら行われていません。


当たり前にあるものを当たり前に使う事ができるのが子供の特性の一つだと思います。

携帯電話があたり前の時代で、子供たちはそれを使って新しい遊びやコミュニケーションを形成しようとしているところで、それが教育上よいか悪いかなんてことは議論にもなりえないことだと感じます。

何れにせよ子供が育っていく中で携帯電話というのはいつか出会うアイテムです。

であれば、それが良いか悪いかなんて議論することよりも、子供たちにその教育を施してあげる事の方がずっと賢い選択であると感じます。


首相の子供の頃に比べれば恐ろしいほど世の中は変わっているわけで、ろくな事がないと一蹴するだけでなく今の子供たちが置かれている状況を考えて、それにあった政策と言うものをとるべきなのではと思うわけです。