子供のころはあんなに1日が長く感じたのに、もうこの年になってしまうと何が何やらで1日が過ぎてしまいます。
小学校高学年か、中学生ぐらいの時でしょうか。
1日が足りないと親父に漏らしたら「それは1日が充実していた証拠だよ」と言われた記憶がありますが、完全に大人になって感じるそれは、本当に充実していたからなのかなと思うときさえあります。
充実していたから1日は早かった。正解。
何か時間に終われるようにして1日が終わってしまった。これも正解。
そんな感じです。
その1日が早く感じてしまい、1日がいくらあっても足りないという感覚は多くの人が持っているものだと思いますが、突き詰めていくと、1日の中で無駄な行動をしているということに気がつくこともできると思います。
- 仕事中にネットサーフィンをしていたから残業になった。
- 夜更かしをしたために寝坊して、1日のスタートが遅れた。
- 話の長い上司についつい話のネタを振ってしまった。
- つまらないことで口論になった。
- タバコをいっぱい吸った。
- テレビを見すぎた。
- ぼ~っとしてた。
などなど。
例えば、私もブログを書いていてそんなにアクセス数もない中で無駄に気になって何度もアクセス数や自分のブログに起こる変化を繰り返しチェックしてしまう行動に出ることがあります。
でも、これは無駄。
割り切ってしまえば、1日の終わりにまとめてチェックすればその変化をすべて吸収することはできますし、そんな少数のアクセスの中で起こる変化などたかが知れています。(でもどこか期待してしまうのですがね)
結局のところ1日の時間はみな平等に決まっているので、如何にそれらの無駄を省いて、したいことへの時間をとるか、ということしかありません。
1日は1秒1秒の積み重ねです。
その1秒1秒の中でとっている行動が原因で、結果時間が足りないという状態に結びつきます。
何も1秒を意識して生きろという極端なことにはなりませんけど、細かい単位で時間を意識するとその無駄な行動を自認することができます。
無駄の定義は人それぞれなので、これは無駄じゃない!と言えるポリシーをもってたりする人もいますが、それはそれで別に問題ないと思います。
ただ、1日が足りない!と感じているのなら、日々とっている行動のどれかを無駄と判断して処理してしまうしかないです。
結局は取捨選択の世界。
無駄じゃない!をばっさり無駄としてしまうか、無駄だとわかっているんだけど・・・をはっきり認知して切り捨てる行動に出るか。
さて、今日一日を振り返り、無駄が無かったでしょうか?
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