システム愛着からの離脱 の続編。
システムへの愛着か、自分のスキルセットを存分に活かせる場を見つけたためか、特定の範囲を自分の業務として、固執する人がいます。
その作り出した聖域を他人に犯されることをやけに嫌う人。
前者の場合は、単純にそのシステムへの愛から来ているものなので、まだほほえましいものですが、後者の場合は少し厄介です。
これらの人は・・・
1. その業務は、自分しかできないと思っている
大体の場合は勘違いです。
言ってしまえばプログラムが文字の羅列である以上、それは誰にでも書けるものです。
その書いた文字が秀逸であるか否かは人の才能によりますが、システムが動くか動かないかにはあまり関係がありません。
ただ、本当にその人にしか対応が難しい場合もあります。代々受け継いできたシステムの仕様は、創成期からプロジェクトに参加してきたその人にしかわからないというケースはあったりするからです。
しかし、そうなる前に業務の共有はしておくべきです。
トラックナンバー1のシステムなんて褒められたものじゃありませんし、結局その人しか対応難しいということはそれに関連する業務は全てその人が請け負う事になり、苦労する羽目になります。
2. 自分は、その業務しかできないと思っている
完全な思い込みですが、長年一つの業務にこだわり続けているとこのような境遇に陥ってしまう人がいます。
それは、変化から逃げてきた結果であって、自己の責任による部分も大きいのかもしれません。
しかし、その人がその業務に対応できていると言う事は、その他の業務にも対応しうる可能性を持っていることを示しています。逃げてはいけません。
3. 決められたルールに即した領域を徹底して守ろうとする
ある意味正解ですが、あまりに窮屈に線を引こうとすると柔軟性にかけます。
ここからこっちが、私の担当。ここからそっちが、あなたの担当。それは責任と役割を明確にしてくれるものですが、あまりにこだわり過ぎると助けも求められません。
※ 「月と太陽のプロジェクト 」にも書きましたが、境界線をまたいでくれる人の存在は大きいです。
4. 私はこれしかやりませんと言う思い込みを強く持っている
プロ意識としてそれを持っていたとしても、ある組織に従属しその一部として働いているのであれば、この考えを表立たせる事は、良い行動だとはいえません。
聖域を作ろうとする人は、その聖域を組織の中でなく、自分の頭の中に作るべきです。
と言うような考えを持っていたりします。
何れにしてもその領域が、自分の価値を高めてくれると言う思い込みが聖域を作ってしまいます。
一方、その聖域を壊そうとする人もいます。
それは、組織を効率的、効果的に動かすためには、特定の人しか踏み込めない領域を作る事は危険と判断されるからです。
聖域を壊す人は、組織やチームで一定の権限を持つ人が多いでしょう。
保守・運用業務の定常化、定型化など、そこに携わった人なら耳が痛くなるほど聞いたりしていないでしょうか。
先ほど挙げた、3.の項目がある意味正解というのはそういった業務の均一化を図ろうとするには、特定の縛りが必要になってくるからです。
しかし、一人でその領域を守ろうとするのはうまくありません。
複数の人でチームを形成し、その領域を守らなければその人がいなくなったとき、その領域のコントロールは不可能になってしまいます。
このように聖域を作ろうとする人たちと、それを壊そうとする人の攻防は、どんな組織でも存在しうる問題だと思います。
長年同じ業務に取り組んでいくと、意識をしなくともその聖域をいつの間にか作ってしまっている事もあります。
しかし、そこから脱却する事は自分の新しいステップにもなりえますし、その聖域を壊そうとする人の声は決して自分の居場所をなくそうとしているわけではなく、自分を解放するための天の声にもなりえるわけです。
長年築き上げてきた聖域を壊される事は忍びない事と思うかもしれませんが、そこから抜ける事自体は決して恐れる事ではありません。
私からこれを取ったら何も残らない、なんて事を言う人もいるかもしれませんが、それ自体も思い込みです。
なぜなら、聖域を作る事は特殊な能力のいる事で、それができるのであれば他の事にも問題なく対応できる能力を持ってることを意味するはずですから。