システムに愛着がありますか? の続編
開発・保守が長期間にわたり、そのシステムに芽生えた愛着と言うものも何時までもそれにひきづられるわけにはいきません。
業務システムの場合、そのシステムの役割が終えるということは業務がなくなるか、別の業務と統合されるか、または新しいシステムに置き換わるかなどのパターンがありますが、大部分では何らかの形をかえるにしろ継続してその役割を担うシステムと言うものが存在していく事になります。
そのシステムの開発・保守を永遠に続けたいと思う意思はその業務との心中を意味することになってしまいますが、自分のキャリアパスと照らし合わせるとそれが自分の為になるというものでもありません。
ある特定の業務システムに関連するスキルセットはそこまで幅が変わってくることもありませんしある言語を使ってある機能を実装して組み込むと言う事自体は、1度または2度繰り返せば十分に身に付くものだと思います。
それとは別のスキルを身に付けたり、立場を変えてプロジェクトに参加しキャリアパスを1つ上にあげるには別の開発・保守・運用といった経験を身に付ける必要性が出てきます。
その愛着のあるシステムを誰か他の人に委ねて自分は新たなフィールドに旅立たなければならないわけです。
しかし、ここでその愛着と言うものが邪魔をすることがあります。
何か他人には触られたくないと言う自分なりの聖域というものをそこに作り出してしまっているんですね。
だから、他人には踏み込まれたくないと思ってしまったり。
別にソースに愛着があるわけでもなく、デザインが気に入っているわけでも無いのに、それとの付き合いの月日だけが抽象的な領域でそういった雰囲気を作ってしまう。
多分ソース全体には、何も感じなくても個々に見ていくとその時の苦労とかが刻み込まれていて全体として思い出の塊みたいになってしまっているのでしょうか。
自分でそれを壊すのは問題ないのだけれども、他人にそれを塗り替えられるのはちょっと忍びないと感じてしまうわけです。
先に言ったように、そこからの旅立ちと言うものが自分の大きな成長につながるのは分かっていてもそこからなかなか離れられないのは子離れできない親の気持ちと同じでしょうか。。。