2000年のサポート業務 | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

最近のSoftbankのCM(ホワイトプラン「パソコン」編 )を見て、単なるネタと思った方も多いと思いますが、この柄本明演じるお父さんのようなPCの使い方(マウスをモニタにあてたり)をしている人は、私が入社した2000年当時少なからず本当にいました。


他にも、マウスを手前に動かしていって机のスペースが足らなくなったため本を持ってきて、その上を滑らせてまでマウスを動かそうとしている人とか。

(その人は巻尺のようにマウスを机の設置面から離すと、カーソルが戻ってしまうと思っていたらしい)


ダブルクリックなんて言葉も通じず、ドラッグなんて言葉が通じないのはさもありなんと言った状況です。

サポート業務を行うに当たっての制約が大きすぎたのです。


今では、ある程度のIT知識を大学などで身に付け、家庭でもPCがあるといった状態が多いため、このようにまったく知識を持たないといった学生が入社すると言う事はありませんし、割と年配の人でもPCがないと仕事になら無いといった状況がずっと続いていますので、ある程度の知識を身に付けている方が増えてきています。


しかしそれでも、PCが使えないのか毛嫌いしているのか、メールの読み書きもできないため、その人が話した事を秘書が入力してメールを作成し送ったり、受信したメールを音読させたりしている人もいます。


ITの普及とソフトウェアの操作性の向上により、一定の知識レベルを持てばある程度のことができる世の中になったため、サポートの時にPCのイロハから教える事はほぼなくなりましたが、ITの複雑さゆえに情報システム部門としては、広い知識と複雑な問題を解決するための応用力と言うものが必要な時代となりました。


人に対して悩む時代から、ITに対して悩む時代へ。


サポート業務を振り返ってみただけでも、ITの時勢の変化に気づかされます。