ペリー上陸の碑 下田へ行ってきたよ2 | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 さて、宝福寺さまから海際を目指して歩いておりますと……


 これだけで「歴史の旅」一回分のネタになりそうなものが、ここかしこに。


 公民館が吉田松陰拘禁之跡だとか……密航未遂という重罪を犯していたにしては、山の上とか、離れ島とかではなく、町中だったんですねぇ。


 缼乏所跡……船に食糧や水を供給した施設でしょうか? 海岸からは少し奥まったところなので、水とかは運ぶのたいへんだったろうな。


 海際に出ました。湾奥の船溜まりです。


 川端康成の「伊豆の踊子」でクライマックスの舞台となった地なのだそうです。


 そこから少し行くと、ペリー上陸の碑がありました。


 おお、ペリー提督だ。


 伊豆は江戸から陸路だと箱根越えがあるので甚だ遠い印象で、実際のところ五日くらいの旅になるでしょう。しかし、品川沖あたりから海路をとれば、その日のうちに下田まで行けてしまいます。つまり、江戸に潜居した攘夷派グループからすると、下田は遠いのでテロ行為を仕掛けるには不便であり、いざとなれば海上に異人さんたちを逃れさせ江戸へ送って身柄を保護するという便利さがありました。


 なんだ、下田は江戸に近くて便利じゃん。


 いや、貿易で商売やるには倉庫を建てるスペースが乏しくてですね……。というわけで下田は開港場として長続きはしなかったのでした。
 小田原で買った鯛飯です。ペリー艦隊は食糧を得るために漁労もやりましたが、鯛もたくさんとったようで、浮世絵にも鯛を網でとらえる米人の図なんかがありました。


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ともあれ、ツタヤ図書館と江戸しぐさは滅ぼすべきです。