私設灯台は擬洋風 | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 慶応4年=明治元年の戊辰戦争では船橋あたりも戦場となりました。その戦場跡としてじゃないんですが、昨年12月にも歴史の旅で船橋大神宮を訪れておりました。きょうは10ヶ月ぶりの再訪であります。


 去年は見落としていましたが、明治時代の擬洋風建築があるのです。しかも、望楼じゃなくて灯台なのですよ。私設ではありますが、政府公認の灯台でした。


 京成線に船橋大神宮下という名前の駅がありまして、そこから徒歩数分です。


 境内の奥に位置する高台に、洋風の屋根を載せた灯台があります。戊辰戦争で焼けるまで、船橋辺を航行する舟の目印になっていた灯明台があったそうです。


 明治13年に再建されたのは公認の灯台なのですが、もともとの灯明台という呼び方が残ったのでしょうね。いまの灯台は光源がLEDのもありますが、まだまだ電球とレンズを用いるのが一般的じゃないかな? この船橋大神宮灯明台の場合は石油ランプが光源で、レンズのかわりに磨いた錫でできた反射鏡です。


 役目を終えたのちも、大切にされているようですね。


 西洋風に見せようとしているけれど中味は在来工法の擬洋風建築です。


 灯明台の足もとにあったのは慰霊碑で、日清戦争以来の戦死者の名前を刻んでありました。


 こちらは昨年、御紹介した記念碑です。うしろに人名が並んでいますけれども、こちらは出征した人すべてなので、生還した人の名も刻まれています。


 軍隊は原籍地主義なので、本籍がある土地の出身とみなされて、こういう碑にも名前が載るのでしょうけれど、家庭の事情はそれぞれあって、生まれてすぐに土地を離れ、ほとんど無縁なのに本籍だけは残っている……なんて場合もあるでしょうね。千葉県や栃木県は明治時代に開拓された土地があって、そういう開拓地によそから入植してきた人は本籍を残してくる場合も多々あってですね、栃木の那須で開拓地に住んでいるけれど、金沢の歩兵第7聯隊に入営したなんて人もけっこういますから、注意が必要です。


 そんな近代史のヒントみたいなハナシもですね、12月10日の大山巌没後100年記念講演会でなら開陳できるかなぁって思ってます。


 2016年12月、大山巌没後百年を迎えます。命日の12月10日は東京都世田谷区下馬の世田谷観音本坊にて、没後100年記念行事を予定しています。

10:00より法要(世田谷山観音寺御住職様)
つづいてバイオリン演奏 大山恭子(大山巌曾孫)

懇親会(昼食)

13:00より講演会
 鈴木徳臣 理系の人だった青年時代
 長南政義 軍司令官としての大山巌
 大山 格 観音信仰と国葬墳墓
終了16:30予定

懇親会費込み、お一人様5000円の会費がかかります。
お子様、学生さまの御参加は別途御相談ください。

 御参加のお申し込みはFacebookのイベントページにて10月末日まで受け付けております。


大事なおしらせ
 大山巌墓所修復事業に対する御寄付は、交通文化連盟にて受け付けております。現時点では、いっさい例外はございません。それ以外の窓口への寄付のお願いがあった場合は寄付金詐欺ですので、応じないよう御注意ください。
 なお、ひきつづき、休憩所建屋、石敷、立木の傾きなど、たいへん困難な修復を予定しており、みなさまの御寄付を募っております。御協力くださる方は、下記口座へ

三井住友信託銀行松戸支店(店番329) 普通7698754
 特定非営利活動法人交通文化連盟



ともあれ、ツタヤ図書館と江戸しぐさは滅ぼすべきです。



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