![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160130/21/itaru-ohyama/61/a3/j/o0600060013554079253.jpg?caw=800)
私の記憶のなかで最も古くから印象にある裸婦ブロンズ像は、上野駅の「翼」です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160130/21/itaru-ohyama/ff/d5/j/o0600060013554079363.jpg?caw=800)
無骨な印象の駅舎に入って奥の方に……
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160130/21/itaru-ohyama/e5/d8/j/o0600060013554079437.jpg?caw=800)
待ち合わせスポットとしての「翼の像」があります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160130/21/itaru-ohyama/54/f4/j/o0600060013554079521.jpg?caw=800)
案内板にも「翼の像」と書かれていますが……
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160130/21/itaru-ohyama/b8/b6/j/o0600060013554079635.jpg?caw=800)
台座の銘板に書いてあるのは「翼」です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160130/21/itaru-ohyama/c8/ce/j/o0600060013554079740.jpg?caw=800)
裸体ですから、身に寸鉄も帯びていません。戦後に裸体のブロンズ像が多く造られたのは、戦うとか争うとかといったイメージから遠いので平和的な印象があるということなんでしょうね。芸術がわからない私のような俗物にも、それは感じ取れます。戦前には軍服を着た銅像が多く、戦後には裸体が多いということで、そこにメッセージを感じとるのは容易いことです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160130/21/itaru-ohyama/ae/ff/j/o0600060013554079812.jpg?caw=800)
昭和33年というと、敗戦から13年目ですね。もはや戦災復興の段階を終え、なべ底不況を脱して岩戸景気を迎えたあたりです。西暦では1958年で、安保闘争のちょっと前ですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160130/21/itaru-ohyama/b8/de/j/o0600060013554079913.jpg?caw=800)
でも「翼という名のブロンズ像」を「翼の像」と縮めて呼ぶのは、どうなんでしょうね。あれかなぁ、むかし東北本線の特急に「つばさ」があったから「翼の像」と呼ぶようになったのかもしれませんけど、うーん、わからない。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160130/21/itaru-ohyama/1a/ad/j/o0600060013554079987.jpg?caw=800)
このあと雨が上がったので、末広町まで歩きました。小型リュックを左胸にあてて、携帯電話との接触を防いでいます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160130/21/itaru-ohyama/3a/ba/j/o0600060013554080070.jpg?caw=800)
やっぱりトラの頭の方が安心感は大きいのですが、こっちの方がラクですねぇ。
ともあれ、ツタヤ図書館と江戸しぐさは滅ぼすべきです。
そして、公開講座をやります。是非とも御参加ください。
https://gakusha.jp/apps/course/detail/1541102/
![にほんブログ村 歴史ブログへ](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fhistory.blogmura.com%2Fimg%2Fhistory88_31.gif)
にほんブログ村
![人気ブログランキングへ](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fimage.with2.net%2Fimg%2Fbanner%2Fc%2Fbanner_1%2Fbr_c_1650_1.gif)