講座・失われた史前学と大山柏の再評価 | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 評価には、高い評価もあれば低い評価もあります。だから評価の反対に位置するのは"無視"なんですね。極論すれば、評価とは「あったか、ないか」の二つに一つ。たとえ悪評でも、それも評価のうちですので、評価の対極は無視されることです。

 私自身は、気づいたら学界とは無縁な立ち位置にいました。ここは案外と居心地が良いです。ただし、ここに居たのでは評価を受けることがありません。私は学界の外に居て、ときおり石を投げ込む野次馬だろうと思います。

 たとえば、なぜ遺体は埋葬されなかったのかで、私は学界に石を投げ込みました。もとより学界からの反応は期待していません。学界の権威とて史実誤認はあるのだということを、一般の方たちに知っていただきたくて書いたものですが、学界からすれば外野席から石が飛んできたようなものでしょう。しかし、しょせん野次馬のすることで、学界から石を投げ返してくることはありませんでした。この場合、明らかに学界からは無視されているわけです。

 まあ、それは良いとして

 私の祖父である大山柏は史前学研究所を主宰していました。華族三大研究所の一つに数えられ、戦前の考古学をリードした時期もあったのですが、戦後しばらく業績を研究史から消されていました。

 なぜ、そんなことに?

 その回答は、明治大学の阿部教授による『失われた史前学』という本に書いてあります。この本によって祖父の業績は再評価されたのです。

 那須塩原市教委から「市民講座でヒトコマしゃべらせてやる」という申し入れがあったとき、「失われた史前学と大山柏の再評価」というタイトルを出したのですが、「評価」という文言を入れるのは、あまりに一方的観点ではないかと難色を示されました。

 冒頭に述べたとおり、評価とは「あったか、ないか」二つに一つです。大山柏の再評価は「あった」と言い切れないのだとすると、阿部教授の著書まで出した御研究の意義を無視するカタチにならざるを得ません。自分のことならともかく、よそ様の、しかも真っ当な研究業績を、言葉尻を捉えた揚げ足取りみたいなことが理由で無視するなんて失礼なことは致しかねます。

 そんな理由で、一度は講演依頼を辞退しようと思ったのですが、市教委が折れてくれたので、引き受けました。


那須塩原市民大学 地域いきいき学部 歴史と旅する講座
8月5日19:00~21:00 西那須野公民館
「失われた史前学と大山柏の再評価」

http://www.city.nasushiobara.lg.jp/dbps_data/_material_/_files/000/000/006/926/data.pdf


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