猪谷宗五郎「元帥大山巌」08 | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 明治三十七八年日露役は最終の出征にして、卽ち第七回目である、元帥が滿洲軍總司令官として、世界の最大强國として誇れる露國の大軍と粉韲したる偉勳丕績は、初項に述べた所であり、且つ又世間周知の事實であるから再言を要せないが、茲に特筆すべきは、元帥が眞に將に將たるの天資であつて、而も平和克復を祈念するの情が深かつたことである、それは次に揭ぐる山本權兵衞伯の追懷談で窺はるゝのである。
 明治三十七年二月八日、日露の國交斷絕、廟議遂に干戈に訴ふるの已むなさに一決するや.時の海軍大臣で機略樅橫而も聲望隆々として、副總理を以て擬せられたる山本權兵衞伯=淸浦奎吾伯と共に、日露戰役當時の臺閣諸公中の健在者として、現に天下の重望を擔うてゐらるゝ=以爲く、今や閫外の重任を拜し、百萬の貔貅を率ゐて、滿洲の野に露軍と雌雄を決するにも、又闕下に留つて神謀鬼策勝を千里の外に制するも、閱歷名望に徵して、大山元帥が其の任たるべきは、十目の視る所、十指の指す所であるが、閫外の重職よりも、寧ろ帷幄の大任が肝要ならんとて、一日伯は元帥に向ひ、今次の事變は帝國振古未曾有の事に屬し、眞に國家安危興亡の岐るゝ所である、此の重大なる時局に際して、閣下は國家の柱石として、國民が齊しく信任期待する所である。軍國多事の際、重大問題の閣下の力を待ちて解決すべきもの必ずや起らん。冀くば 大元帥陛下大纛の下に留つて最高樞機に參畫し、以て不肖等を指導し給はんことをと云はれた。時に元帥答へて閣下(山本伯を指す)の言は、一應御尤の次第ではあるが、今や野津、奧、乃木、黑木、兒玉、川村等歷々の猛將智將が轡を駢べて出征する事とて、是等諸將の雄才偉略を發揮せしめて、而も克く其の協調一致を圖り、全局の任に膺るには自分聊か自信があるから、是非今回は出馬さして戴きたいのである、內國に於ける事は、偏に閣下方の裁量に待つべきであるから、何分宜敷御願すると云はれたが、後日に至つて此の元帥の一言は、果然成る程と首肯せらるゝことがあつた。
 更に又元帥が愈〻滿洲軍總司令官の重任を拜し、將に征途に上らんとせらるゝに臨み、伯に向ひ例の悠揚たる態度で、溫顏に微笑を湛へながら、獨特の諧謔的口調で「山本さん、今度の事は、善い所で軍配を擧げて下さい、宜敷賴みますよ」との意味深長なる一言を置土產として別れられたと云ふ事である。さて此の宜敷賴みますと云ふことは、戰場の事は不肖ながら自信があるから諸公意を安んじ給はるべし、一體實戰に臨むものは、動もすれば、所謂鹿を逐ふ獵夫は山を見ずと云ふ諺があるが如く、軍を進むるのみに走つて、遂に戰爭打切の潮時を忘るゝことがあるから、諸公は內に在つて能く世界の大勢を達觀されて、其の機會を逸せざる樣にとの事であつた。流石に元帥の先見の明には、實に感服したと、山本伯は折節貴族院議員大久保利武侯や、貴族院議員樺山資英氏、竝に昵近者某氏等に物語られたと云ふことである。これ余が以上の諸氏より親しく傳聞した事である。
 若し夫れ露西亞の如き、世界の一大强國相手の戰爭が、餘り長期に亙るやうでは、我が帝國として策の得たるものでない、且又我は固より正義人逍を尊重する王者の師であるから、宣戰の目的が達成せられたならば、其の機を逸せす、須らく戰局を打切つて平和克復を圖るのが、當然の事理で、又賢明なる所置であらう。元帥が「善い所で軍配を擧げて下さい」と言はれたのは、深慮の存する所如何にも感服に堪へないのである。(この項つづく)

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