前回の続きです。
江戸時代、山坂の続く千国街道での物資の輸送は、
冬場は歩荷、夏場は牛に背負わせて移動したそうです。
馬と違い、牛は斜面で踏ん張りが効いたり、
山中で動物に襲われた時、立ち向かっていく強さが
牛方と呼ばれる人足を頼りにさせました。
牛方は塩俵を2俵ずつ牛に背負わせ、
一人前になると6頭を追っていたそうですよ。
牛方宿は、牛方と牛が一緒に寝泊まりする
今でいう旅館です。
街道沿いにはこうした牛方宿が何軒もあったそうですが、
明治中期に新しい国道ができると
街道は役目を終え、唯一現存してるそうです。
牛に履かせていたわらじ。
左上が爪側です。
先頭の牛や体力が弱った牛がつながれていた厩です。
他の牛たちは、街道向かいの厩で休んでいました。
牛方たちは、厩の牛や土間に置いた塩俵に
気配りしながらロフトで寝たそうです。
箱枕、痛そう、、、。
名前が彫ってあるマイ枕もあったそうですよ。
座敷では、一般の行商人が宿泊していました。
神棚に入りきらない古いお札の数々。
昭和39年まで、子孫の方が暮らしていました。
その後、長野県の方で買い取ったみたいですね。
牛方のイメージポスターがありました。
塩倉です。
半地下に牛が繋がれ、その上に塩俵を保管しました。
建物は、釘一本も使われていません。
バッタか?イナゴか??
道幅が狭いと牛が怖がって歩かないので、
常に9尺(2.7m)あったそうです。
ゲンノショウコ
調べると、下痢などに効く薬草みたいですね。
オトコエシ
キンミズヒキ
ヨメナ
ツユクサ
調べると、こちらも薬草になるようです。
千国番所
千国宿のほぼ中央に、松本藩の出先機関である
千国口留番所という関所がありました。
道中取り締まりの様子を再現した
復元建物です。
建物に入ってすぐ左の視線に不意を突かれ、
ちょっとびっくりしましたね。
冬場は、囲炉裏の前でやり取りしたのでしょうかね。
それにしてもあまり人気がない施設なのか、
訪ねて来たのはボクたち夫婦だけ。
真面目そうに仕事してるお役人も、
ボクたちが帰ったら
横になってくつろいでいるかもしれません。
歩荷の背負子が置いてありました。
塩倉を再現してますが、
当時の千国番所の塩倉は2倍ほど大きかったそうです。
歩荷と牛方の、街道道中復元像です。
千国の庄資料館
千国街道沿いに建っていた民家を、
曳家で移築した資料館です。
建物自体大きくて、裕福な暮らしだったのだろうなと
想像してしまいます。
2階もありますが、梁が近い。
1階の座敷。
明治~大正時代の雛飾り。
押し絵雛という、立体絵を飾った雛飾りがありました。
初めて見ましたね、こういう雛壇。
小谷村は、昔からわら細工が有名みたいですね。
赤ちゃん用つぐらや猫つぐらが置いてありました。
宿のある栂池高原から糸魚川まで
車で1時間ほどというので、
車を取りに塩の道を引き返しました。
次回、糸魚川へ行きます。
続きます。










































